そう言えば、大昔、まだ私が東京銀行に勤めていたころ、同じ部の同僚(先輩)にサイードというイラン人がいた。流暢な日本語を話したので、電話の相手は彼の名前を聞いて「斉藤さんですか」などと間違えたものだ。
彼は、パーレビ時代のイランの中央銀行の副総裁の息子で、一家は、1979年のイラン革命で出国を余儀なくされた。彼には5人だかの兄弟がいて、それぞれ、アメリカ、イギリス、フランス、日本など世界の異なる地域の主要国に留学し、それぞれの国に就職もしていた。つまり、計画的に兄弟を各国に送り込んで政治的、人的ネットワークを作らせ、一家存続のために一族ポートフォーリオの分散戦略を進めていたのだ。