常より物欲に恬淡なりと公言しておる。余の言動を知る人は概ね其れを信じておる。
然るに其れ真にあらず。真実は全く逆にして、余こそ物欲の権化なり。
余が物欲は過大にして決して満たされることなし。余が物欲を達せんとせば、莫大なる金銭を費やさざるを得可からず。かかる巨富を得んには、余の器量幸運いずれも全く足らざること自明なり。
而して余の手に入りうる富を以って僅かに余が欲の数千分の一を実現せんとせば、其は数千分の一の満足を余にもたらすに非ず。反って数千倍の不満足を返す可し。
余が真に欲するは、貴重なる無垢材を用い、稀有な名匠の手になる書院の館である。手入れの行き届いた庭園、それも、山里の自然を模しながら高い精神性を湛える夢窓疎石の庭である。手織りの着物を着て、骨董の調度品食器に囲まれ、旬の天然食材の料理のみを口にして暮らしたい。
この希望に少しでも妥協を持ち込めば、その優雅な生活は忽ちにして下品な成金趣味に堕すること言を待たず。
故に、ある時より我に物欲なしと偽り、棺おけに入るまでその振りを続けることを決めたり。
例えば、外食するに安い定食の利用を常とす。或は、イトーヨーカドーの衣料を普段着に纏う。妻は揶揄して、余をスーパーモデルならぬスーパーのモデルと呼ぶ。
まことに以って負け惜しみの所業に他ならず。
今ここに記して、せめて余が本懐を親類縁者の知る所となさん。
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