近頃の娯楽小説は面白くないからあまり読まない。筋が面白くないのではない。文章が面白くないのだ。味気ない。薄っぺらい。商品パンフレットを読むのと大して変わらないものが多い。
最近、京極夏彦を知った。名前は以前からよく聞いていたが、読んでいなかった。人気作家だと知っていたから、どうせつまらぬ文章だろうと思っていた。
ひょんなことから、彼の書いた水木しげるへの賛を読んだ。はっとした。一種の擬古文が、実に自然に、巧みに編まれていた。それがきっかけで推理小説に手を出した。
先入観は間違っていた。実に知的で諧謔に富んだ面白い文章を書く作家だった。
この作家の作品はどれも恐ろしく長い。それが、不思議に速く読める。内容は、かなり込み入っている。それでもどんどん読み進める。気がつくと、前回からはるか後ろの頁にしおりを差し替えることになる。それだけうまいのだ。読ませるのだ。
センスがいい。しゃれている。気が利いている。機知に富む。洗練されている。
猟奇的な場面が、この人の手にかかると、適度に喜劇的に鑑賞できる。一場の都会的な戯曲として嫌悪無く受け入れられるのだ。描かれている内容は、いかにもおどろおどろしいのに。不思議な作家だ。
余人が書いたら、至極後味の悪い小説にしかならぬだろう。
また、キャラクター小説としても一流だ。登場人物の魅力が、リアリティーを感じさせながら、これまたことごとく諧謔にくるまれていて、彼らが共同で一種のメルヘンを作り出している。
彼は好んで昭和半ば以前に時代設定する。明らかに、目指す文体と、それが描く社会の雰囲気とのベストマッチングを求めてのことだろう。私は、自分が好きな大正から昭和にかけての娯楽作家、例えば、海野十三を想い出す。
ずっと付き合いたい娯楽作家に、久しぶりにめぐり合えた。
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