2016年12月21日水曜日

俳句とクロスワードパズルとレヴィストロース

近ごろ俳句の面白さに目覚めて夢中である。
俳句は、心の旅であり言葉の冒険である。
多くの隠居者の手慰みでもあるが、その意味では西洋のクロスワードパズルに似る。
しかし、クロスワードパズルが単に語彙知識のゲームであるのに対し、俳句はそれ以上に創造性と想像力の遊びである。
また、前者が専ら出題者の計画と専制に縛られるのに対し、後者は当事者各々の無限の発想に委ねられる。
はるかに優雅で自由な遊戯だと言えよう。
そう考えると、レヴィストロースの日本贔屓にまた頷けるのである。

2016年11月13日日曜日

トランプはどこだ? 二つの箱の中を探せ

あたかもトランプ現象またはトランプショックが分断をもたらしたかのように喧伝されている。

話は逆で、抜き差しならぬ分断が大きくなりすぎたからトランプが出現したのだ。

ヒラリーとトランプ、オバマとトランプが表向きまたは政治的に和解劇を演出しているにも関わらず、一部アメリカ国民が暴動まがいの反トランプデモを行い、それを例によってメディアが煽っている。

ここで良識あるアメリカ国民と日本人を含む世界の人たちに必要なのは、戦うべき相手が誰なのかを冷静に見極めることだろう。

先ず確かめなくてはならない。トランプはどこだ?

トランプは四つの箱のうち二つのどちらかにいる。

ビジネスパーソン向けのセミナーなどで多用される手法を使おう。やや乱暴だが実用的なツールである。

四つの象限による分類だ。

横軸の左側にグローハリズム志向、右側にナショナリズム志向を置く。

縦軸の上側に平和志向、下側に紛争志向を置く。

出来上がった四つの箱を左上から反時計回りに「グ平」箱、「グ争」箱、「ナ争」箱、「ナ平」箱と呼ぼう。

反トランプ派は、トランプがナ争箱にいると言って攻撃していると見ることが出来る。

トランプとその支持者が人種差別、宗教差別、女性蔑視を通してアメリカを引き裂き、それが排外主義となって世界に波及し、世界中に紛争と戦争をまき散らすと考えているようだ。

ここで最も重要なことは、善良な反トランプ派が自分の仲間はすべてグ平箱に住んでいると思い込んでいることだ。

さらに、彼らはナショナリストがすべて好戦的で排他的だと信じこんでいる。つまり、彼らはナ平箱とその住人の存在を認めていないのだ。

すなわち、善良な反トランプ派の人々には、ここで仮定している四象限が見えていない。対立軸が一本しかなくて、グローバリスト=平和主義者 対 ナショナリスト=好戦的排他主義者 の構図になっているのだ。

一般に、人がある対象に強い嫌悪感ないし怒りを感じるとき、特にその感情が反射的に湧きあがるときには、一息置いて冷静にその嫌悪感の源泉を省みた方がいい。

知らず知らずのうちに不合理な偏見に支配されているかも知れないからだ。洗脳されているかもしれない!

さあ、果たしてグローバリストは全て平和主義者なのだろうか。また、ナショナリストはすべて好戦的な差別主義者なのだろうか。

ここから議論を始めないと、真の敵を見誤る。味方を攻撃してしまう。オウンゴールをやらかしてしまう。

最初の論点に戻ろう。人種差別、宗教差別、女性蔑視によって分断された今のアメリカを作ったのは、トランプ支持者やナショナリストたちだっただろうか。

人種差別、宗教差別、ジェンダー差別は、グローバリストの間には存在しないのだろうか。

人種差別、宗教差別、ジェンダー差別は、建国以来アメリカに存在した。その是正が長い紆余曲折の歴史を通じて行われてきたというのが真実だろう。

では今更それが爆発しなければならない原因はどこにあるのだろう。トランプ的人間が出てきたからだというのは説明になっていない。

ジェンダー差別は別件逮捕だからさておくとして、人種差別、宗教差別の圧力の高まりは、一つには国内産業の衰退による白人貧困層と不法移民を含む移民の間の労働機会の奪い合いが原因だろう。もう一つの原因は、中東地域の様々な紛争とそれらに関連するテロの頻発を淵源とするイスラム教徒の移民の増加と彼らに対する偏見の高まりだろう。

この二つの原因を作り出したのは、トランプ的アメリカ、すなわちナショナリストの仕業ではない。

これらの原因を作り出したのは、国内産業を空洞化させたマルチナショナルビッグビジネスであり、石油その他天然資源をコントロールするために関係諸国の政治と紛争に介入し続けるグローバリストたちである。

しかも彼らはその罪の隠ぺいのために、口では世界は一つ、人類はみな平等、人権第一を歌い上げている。

このシステムの中心にいる勢力は、例の四象限で言えば、グ争箱に巣くっている連中だ。彼らこそ本物のグローバリストであり、善良で純真なグ平箱の人々を騙してナショナリストたちへの攻撃にむかわせているのだ。

このグローバリストたちから多額の資金を得て政治を動かしている政治家の代表格は、ヒラリークリントンだ。

このからくりに気が付けば、グ平派の人々は、グローバリズムの罪深さを悟ってナ平箱へと移転して来るはずではないか。

それでもなおナショナリズムという言葉の響きに強い抵抗を持つ人々に問いたい。

自国の文化、伝統、国土を愛しその利益を優先する国民は、悪人なのだろうか。それらの国民同士は、争いをする以外にないのだろうか。

異なる文化、異なる思想、異なる歴史、異なる利害を持つもの同士が、互いに相手を認めあい、尊重し、共存の道を求めて妥協点を探ることこそが、私たちの目指す国際社会なのではないのか。

ならばなぜ、ナショナリズムを憎まなければならないのか。世界を一つにしてあらゆる国境をなくさなければ仲良くなれないというのは、論理の飛躍であり、非現実的な考えだ。

それどころか、この考えこそが問題を深刻化させてきたことを銘記しなければならない。

今こそグローバリズムの内包する矛盾と欺瞞に気付く時だ。

グロバリズムの頂点にいる連中は、いくつもの国に会社を持ち、いくつもの国に預金口座を持ち、いくつもの国に投資し、豪華ヨットや自家用ジェットで世界中を駆け回り、主に英語を話し、世界中の同類たちと高価な酒を酌み交わしながら情報交換をしている連中である。

そして彼らは、いくつもの国に高い壁で囲った屋敷を持ち暮らしている。決して善良無垢な各国国民と生活空間をともにするような輩ではない。、

あなたたちがどんなに崇敬し、憧れ、慕おうと、決してあなたたちを大事にしてくれるような人たちではない。

最後に、あなたたちはどの箱にいるのか。

2016年11月9日水曜日

トランプという希望

トランプが勝った。

すなわちMSM(メインストリームメディア)が負けた。

あれだけ反トランプキャンペーンに躍起になったにもかかわらずやられたのだから、さぞショックだろう。

そしてこの敗北はあのBrexitに続いての敗北だ。

世界全体が音を立てて変化している。

トランプ現象とBrexitいずれも、実は一つの大戦争の二つの戦闘だ。

戦争の対立軸は、グローバリズム対ナショナリズムであり、多国籍資本対国民経済であり、支配層対非支配層であり、富裕層対貧困層であり、特権階級対大衆であり、進歩主義対保守主義である。

前者勢力の代表がウォール街であり軍産複合体であり石油資本である。そして注意すべきは、MSMはそちら側の重要なプレーヤーだということだ。

つまり、MSMはグローバリストの宣伝機関または洗脳機関なのだ。

と言っても、議論が飛躍しすぎて腑に落ちないだろう。

次のように言えば分かりやすいかもしれない。

世界の政治と経済を牛耳っている勢力は、国境を超えて経済活動を展開し、各国の主権と法制度を敵視している連中である。決してアメリカ政府そのものではない。

世界中に紛争を起こし、地域を間接支配し、石油を確保し、金融をコントロールし、もうけた金をタックスヘイブンに蓄える。

カネとモノとヒトを国境を越えて自由に行き来させることが彼らの利益を生む。

必然的に各国の文化的特異性も邪魔になる。

二十世紀の後半から世界中の人が、とりわけ日本人が、彼らのプロパガンダに犯され続けてきた。

アメリカ国民も、日本人とは違った経緯で、強力に洗脳されてきた。

その魔法がいま溶けようとしている。

政治的建前から本音重視への移行である。

オバマ時代は、ポリティカルコレクトネスの頂点だった。建前で現実を処理することはできないから、当然オバマ政治は失敗した。

オバマに「チェンジ」の夢を見たアメリカ国民は、彼のキレイゴトに無残に裏切られて、今度は、彼らの本音を拡声器で叫んでくれる、下品だが頼りになりそうなトランプ親分に賭けてみる気になったのだ。

「地球市民」などは、「非武装中立平和主義」と同様、マヤカシであり、幻想であり、偽善的言説であり、それどころか危険思想でさえあるのだ。国境はすなわち国家主権であり、国家は私たちの生存と安全に不可欠なのだ。

国境の壁は、目に見えるものであろうがなかろうが、必要なのだ。

私も、トランプにささやかな希望を託す一人である。

むっつりス〇〇より陽気なス〇〇の方がましだとか、インテリづらの犯罪者より下品な正直者の方がましだとかという次元の話ではない。

本来の政治の機能を少しでも取り戻して、世界的な支配と被支配の関係を打ち壊す端緒を作ってくれないかという期待だ。

それは、地球規模の欺瞞を闇から引きずり出して、政治を本音に近づけることから始まるのではないかと考えるからだ。

日本国の在り方も、やっとそこから議論が始められるからだ。漸く日本の国体と防衛について、本当のことを話し合える時代が来たのかもしれない。

ただ、恐ろしいのは、グローバル支配勢力からの反撃だ。彼らには膨大なカネとネットワークがある。

とてつもなく周到で狡猾な謀略が張られるだろう。

最も分かりやすく効果的なのは、トランプの暗殺か。極東の独裁者の暗殺よりもずっとありそうな話だ。

げに恐ろしきはグローバリストである。

2016年8月16日火曜日

百田尚樹『カエルの楽園』の意味

あまりに単純素朴で何のヒネリもない寓話だ。結末は読み始めから見えている。

寓話の価値は、単純な例え話を使って分かりにくい真実に気付かせてくれること。

この本の寓意はあまりに当たり前過ぎて、私に何の新しい気付きも与えてくれない。多くの大人の読者に共通の感想だろう。

一方、いわゆる第9条信者にとって、百田尚樹の本など目にするだに汚らわしいだろうから、彼らが読んで何かに気付くことなどあり得ない。

多くの小学生か中学生に読んでもらいたい本だ。

現代日本という特異な言論世界以外では童話としてしか成立しない本だ。

2016年2月18日木曜日

今日の新聞から明日の日本を考える

主要紙を全て購読する偉い先生方とは違って、わが家には日経しか来ない。

その日経も実は妻の愛読紙で、私は普段ざっと目を通す程度だが、今日の紙面には興味を引く見出しが満載で、珍しく真面目に読み込んだ。

「中国、実効支配へ強硬 南シナ海西沙にミサイル配備」
「対話外交手詰まり 修正迫られる米大統領」
以上、一面ではなく三面にあるのがなんとも言えない。

そして国際面に「すれ違う米・ASEAN」。

幕末以来の国難は勿論我国の望んだものではなく、その後日本は次々に降りかかる外敵の脅威を懸命に払い除けながら、知恵を絞り、歯を食いしばり、脂汗を流し、夜も寝られずにやっとの思いで生き延びて独立を守ってきたが、ついにはアメリカの挑発に誘い込まれて無理な戦争を始め、結果、完膚なきまでに叩きのめされた。

戦後は辱められ、封じ込められながら、ひたすらアメリカ様に精一杯の恭順を示しつつ、持ち前の勤勉と我慢強さで、経済においては一等国の地位に帰り咲くことができた。

その後ソ連が崩壊し米ソ冷戦は終わったが、共産中国が初めは静かにやがて喧しく台頭し、最近はついにアメリカと共同して世界を分担統治しようとまで宣い出すに至った。

かたや親方アメリカは、徐々に国力を弱め、財政の限界と内政の不安定もあって、もうかつてのごとき世界の警察官ヅラはとても続けられないとの自覚に傾きつつある。

今日の新聞記事を読み解けば、表向きアメリカは、日本を含むアジアの同盟国に対し頼もしい用心棒役を続けるふりを装いながら、しかし一方で、思い切った手が打てない苦悩をちらつかせて、少しづつ少しづつ同盟国のあきらめと自立を促しているように見える。

この見立てが当たっているなら、今のオバマの対中姿勢は、ついこの間のB52の飛行やその前の駆逐艦の巡航も含め、ただのアリバイ作りと時間稼ぎということになる。

米中間で密約が存在するかどうか私ごとき庶民が知る由もないが、両国が少なくとも暗黙の合意を予定してメクバセを交わしながら芝居を打っている可能性が極めて高い、と私には見える。

偵察衛星は日に何度か南シナ海の上を通っているわけで、どんなに作業を急いでも地対空ミサイル配備の様子は何日も前から観察されていたに違いない。出来ちゃってから騒ぐこと自体、断固阻止の意思が無かったことの何よりの証拠である。そしてそのアメリカの本音は、自動的に中国に理解される。

核保有国同士の米中が全面戦争を避けるのは当たり前で、したたかに着々と覇権を目指す中国と、図らずもジリジリと後退を余儀なくされるアメリカとの間で、アジアにおける疑似冷戦(実は共同管理)が演じられても何の不思議もない。

いや、アメリカが日本を差し置いて中国を共同管理パートナーに選ぶはずがないと信じる日本人は多いだろうが、アメリカにしてみれば、いまだに軍隊禁止の憲法を直さないばかりか、万国に自然権として認められる集団的自衛権をすら限定的にしか行使できないトンデモ国家を、冷厳苛酷な国際政治戦の共同パートナーなどによもや選ぼうはずがない。

日本人には大いに心外だろうが、アメリカにとって、日本に対する友情(そんなものがあればの話だが)など、自国の安全の前では藁一筋の重みもないのは自明だ。いや、多くのアメリカ人は、実は昔から日本よりも中国に対する尊敬ないし憧憬の念のほうが強い。

ついでに言えば、戦後アメリカの対日政策は、口先では最重要同盟国としながら、裏ではいわゆる「二重封じ込め戦略」と「米中共同封じ込め戦略」を相次いで適用してきた。後者は私も最近知った驚くべき事実だ。

国際政治アナリストの伊藤貫によれば、米中の対日共同封じ込め戦略は、1972年2月のニクソン訪中時に正式合意された。National Security Archiveの公開する米政府の外交資料に載っているそうだ。

などと論じると、国内の反日工作勢力や空想的平和主義者たちは、そんな頼りない日米同盟ならばそもそも必要ないではないかなどと嬉々として叫び出すかもしれない。

それは、「十分でないものは必要でない」という非論理的で幼児的な議論だ。一般論としても、自国の安全を同盟だけに頼ることは不十分だが、それは同盟不要を当然に結論づけるわけではない。

日本の現状を見れば、日米同盟なしに中国の軍事脅威に対する安全保証が覚束ないのは明らかである。逆に、日米同盟があれば、100パーセントの保証はなくても、相当の抑止効果は期待できる。

そもそもこの間までの日本のように集団的自衛権の行使を否定している国が軍事同盟を結ぶこと自体意味をなさない。だから、日米同盟を実質的に成り立たせるために先の安保法制は最低限の必要条件であった。

さらに、憲法九条の制約を除いて世間並みの軍事力を持つことができれば、抑止力はさらに向上する。

一方、軍事同盟も否定し、現在の不完全な軍事力(自衛隊)をそのままにしておけば、中国の拡張主義を促進することとなろう。

くどくど確認することも憚られるほどの簡単明瞭な理屈だ。

阿部さんと保守勢力の有志は、憲法改正の早期実現への努力をいよいよ声高に宣言し出したが、先般の安保法制論争時、野党やマスコミ各社、一部学者、「有識者」や、その他有象無象の反対キャンペーンのバカ騒ぎぶりを見ると、改正実現にはまだ相当の時間がかかるだろう。

こんな不吉な予想はしたくないが、尖閣が取られ、さらに沖縄の領有権が脅かされるに及んで漸く国論は憲法改正になびくのではなかろうか。

アメリカは勿論、阿部さんすら腹のうちではそれを想定済なのではなかろうか。逆に、そのくらいの現実的洞察を持っていなければ宰相失格かも知れない。

さて中国の南シナ海ミサイル配備という重大ニュースを押しのけて、きょうの日経一面に取り上げられた面白い記事がある。

「USJ、沖縄進出撤回検討」だ。「採算見込めず」が理由とされるが、果たして本当か。

USJは、昨年秋にコムキャストが買収した。さすがにアメリカのメディア大手だ。間近に迫る沖縄およびその周辺の政治的および軍事的リスクの影響を懸念し始めても不思議はない。記事はそんなことに毛ほども触れていないが。

アメリカは漸次撤退する。中国は漸次拡張する。互いに戦争を望まないとすれば、両者はどこかで勢力の均衡を求め当面の折り合いを付ける。そしてその均衡点も永遠のものではない。このままの日本では、両大国のその枠組みの中で小突きまわされるしかない。例によって何らかの代理戦争が仕掛けられてもおかしくない。場合によっては中国の属国化を余儀なくされるかも知れない。と知るべきである。

幕末期の重大危機の再来である。大袈裟ではない。

されば日本の進むべき道は、まず日米安保の確保。次に九条改正と軍備増強。同時にASEAN、インド、豪州との同盟の確立。ロシアとの関係強化。さらには、英仏型核武装「Minimum Deterrence」を含む自主防衛体制の検討だろう。

大きな攪乱要因は中国共産党政権の瓦解の可能性であるが、これは今のところ見切ることが出来ないし、仮にこれが現実となった場合、日本の安全保障上のリスクがどの程度減るのか増えるのか、今の私には見当が付かない。