トランプは「北朝鮮が核実験をやるとの確証に至れば攻撃するぞ。」と言っている。
ただし条件をつけている。第一に中国が適切な行動を取らないこと。第二に韓国が同意すること。
そして今トランプは、「中国はよく動いている。習は素晴らしい。」などと言っている。韓国が同意しないことはまず確実だ。
つまり、北の核実験があろうがなかろうが、ぎりぎりのところでアメリカは攻撃をふみとどまる、というシナリオができているのではなかろうか。
そのうえで、その後、米中の合意と協力に基づいて、一定の時間をかけて金正恩を押さえ込むつもりなのだろう。
具体的には、中国から北への石油輸出の停止。引き換えにアメリカは、中国主導(表面上は「韓国主導」でもよい)の半島統一を許すかもしれない。
金正恩は米中共同のあらゆる策謀の末、結局何らかの形で排除されるだろう。
中国主導の半島の統一とは、つまり半島から米軍が撤収するということ。それは38度線が対馬の北まで下りてくることを意味する。日本はますますアメリカとの軍事同盟を強め、同時に憲法を改正して防衛力も倍増しなければならない。長期的には独自防衛の道を模索する。場合によっては核武装を検討するかもしれないが、それはおそらく米中からの、少なくとも中国からの徹底的な妨害に会うだろう。
逆にアメリカが北の核実験に対抗して攻撃をした場合、韓国、日本に少なからぬ被害が出る可能性が高い。そうなれば、その後アメリカは同盟国からの信頼を決定的に失い、覇権の基盤をゆるがしかねない。
それはやはり、中国にとっては今より有利な状況を生む。ただし長期的には日本の軍備増強、場合によっては核武装というリスクが高まるかもしれない。
もし北が合理的な判断を捨てて先制攻撃に出れば、すなわちソウルや東京または在日米軍を攻撃すれば、アメリカは同盟国に気兼ねなく、むしろ同盟国防衛の大義を得て、思う存分北を攻撃できる。
その場合、韓国も日本もアメリカを責めるわけには行かず、感謝を表明しなければならない。中国は引き続きアメリカの覇権をみとめなければならないだろう。
以上のように考えると、アメリカの軍事的覇権の維持にとって最善のシナリオは、最後のシナリオ、金正恩を徹底的に追い詰めて暴発させることかもしれない。かつて日本を追い詰めたように。
しかし、そこで話はトランプ政権誕生時の振り出しに戻る。そもそもアメリカは今後も一国覇権を続けられるのだろうか。おそらく答えは「否」だろう。だとすると、やはり中国か日本にアジア覇権の一部を委譲するほかない。
いずれにせよ、日本は憲法改正と軍備増強をせざるを得ないだろう。
さもなければ中国の横暴に身を任せるしかない。
2017年4月15日土曜日
2017年2月28日火曜日
愛と成金とオードリー
オードリーヘップバーンが好きだ。
最近BSで『麗しのサブリナ』と『ティファニーで朝食を』を観た。アメリカが自信に満ちていた時代の映画だ。夢と自由の国の物語。
年のせいか世相のせいか、オードリーの魅力そっちのけでアメリカ的価値観にばかり関心が向いた。
二つの物語のテーマはおよそ同一だ。成金に憧れつつ結局は純粋無垢な愛を選ぶということに尽きる。
ハリウッド十八番のテーマだ。
アメリカ国民は、さらにはアメリカに憧れた私たち世界中の大衆が、このハリウッドの美しい物語から大いなる娯楽を享受してきたわけだが・・・はたしてアメリカは、そして私たちは、本当に拝金主義を去って清き愛に即いて来ただろうか。
愚問だろう。
実際は逆で、いつも純粋無垢な愛に憧れながら、結局拝金主義にどっぷり浸かってここまで来たのだ。
さらに穿てば、私たちはハリウッド映画を見ながら、顕在意識では愛を選ぶ美しい物語に賛同する自分を祝福しつつ、あるいはそれを免罪符として、潜在意識では映画のプロットの主要部分を占める成金の価値観に対する共感をこそ増殖させてきたのかも知れない。
何もかも金で動かすことのできる大富豪やら、ニューヨークの華麗な日常やらへの憧れ。それがアメリカ映画を見る本当の動機だったのではないだろうか。
アメリカこそ、いやハリウッドこそ世界の愛と拝金にまつわる欺瞞を象徴する存在である。
その象徴中の象徴があの絢爛豪華なアカデミー賞授賞式だろう。今年の授賞式は昨日執り行われた。
究極の成金趣味とスノビズムの祭典。そこでの愛と人道の謳歌。
テレビで式を垣間見る度に感じて来たこの矛盾を今回ほど強く感じたことは無い。
オードリーの実人生を知ると、それがこの欺瞞と矛盾に投げかける強烈な皮肉のようにも思えてくる。
アメリカ全盛時代の物語、つまり本来のアメリカの価値観が、今のアメリカの荒廃を生み出したのだ。
トランプ大統領に牙を剥くグローバリズム・リベラル勢力もトランプ大統領自身も、この同じ価値観から生れ出た異形の双子だ。
しかし、それはアメリカの話で終わらない。私たち日本人もまたその他の国の人々も、少なくとも20世紀の半ば以降、アメリカの価値観、矛盾に満ちた価値観を追いかけてきたのだから。
毎日毎日日本のテレビで繰り返される「セレブ」なるものに対する賛歌を見よ。
この欺瞞からすぐに抜け出すことはできないだろう。欺瞞を自覚することがささやかな歯止になることは確かだろう。自覚しなければさらに住みにくい世界に向かって行かざるを得ないだろう。
最近BSで『麗しのサブリナ』と『ティファニーで朝食を』を観た。アメリカが自信に満ちていた時代の映画だ。夢と自由の国の物語。
年のせいか世相のせいか、オードリーの魅力そっちのけでアメリカ的価値観にばかり関心が向いた。
二つの物語のテーマはおよそ同一だ。成金に憧れつつ結局は純粋無垢な愛を選ぶということに尽きる。
ハリウッド十八番のテーマだ。
アメリカ国民は、さらにはアメリカに憧れた私たち世界中の大衆が、このハリウッドの美しい物語から大いなる娯楽を享受してきたわけだが・・・はたしてアメリカは、そして私たちは、本当に拝金主義を去って清き愛に即いて来ただろうか。
愚問だろう。
実際は逆で、いつも純粋無垢な愛に憧れながら、結局拝金主義にどっぷり浸かってここまで来たのだ。
さらに穿てば、私たちはハリウッド映画を見ながら、顕在意識では愛を選ぶ美しい物語に賛同する自分を祝福しつつ、あるいはそれを免罪符として、潜在意識では映画のプロットの主要部分を占める成金の価値観に対する共感をこそ増殖させてきたのかも知れない。
何もかも金で動かすことのできる大富豪やら、ニューヨークの華麗な日常やらへの憧れ。それがアメリカ映画を見る本当の動機だったのではないだろうか。
アメリカこそ、いやハリウッドこそ世界の愛と拝金にまつわる欺瞞を象徴する存在である。
その象徴中の象徴があの絢爛豪華なアカデミー賞授賞式だろう。今年の授賞式は昨日執り行われた。
究極の成金趣味とスノビズムの祭典。そこでの愛と人道の謳歌。
テレビで式を垣間見る度に感じて来たこの矛盾を今回ほど強く感じたことは無い。
オードリーの実人生を知ると、それがこの欺瞞と矛盾に投げかける強烈な皮肉のようにも思えてくる。
アメリカ全盛時代の物語、つまり本来のアメリカの価値観が、今のアメリカの荒廃を生み出したのだ。
トランプ大統領に牙を剥くグローバリズム・リベラル勢力もトランプ大統領自身も、この同じ価値観から生れ出た異形の双子だ。
しかし、それはアメリカの話で終わらない。私たち日本人もまたその他の国の人々も、少なくとも20世紀の半ば以降、アメリカの価値観、矛盾に満ちた価値観を追いかけてきたのだから。
毎日毎日日本のテレビで繰り返される「セレブ」なるものに対する賛歌を見よ。
この欺瞞からすぐに抜け出すことはできないだろう。欺瞞を自覚することがささやかな歯止になることは確かだろう。自覚しなければさらに住みにくい世界に向かって行かざるを得ないだろう。
2016年11月13日日曜日
トランプはどこだ? 二つの箱の中を探せ
あたかもトランプ現象またはトランプショックが分断をもたらしたかのように喧伝されている。
話は逆で、抜き差しならぬ分断が大きくなりすぎたからトランプが出現したのだ。
ヒラリーとトランプ、オバマとトランプが表向きまたは政治的に和解劇を演出しているにも関わらず、一部アメリカ国民が暴動まがいの反トランプデモを行い、それを例によってメディアが煽っている。
ここで良識あるアメリカ国民と日本人を含む世界の人たちに必要なのは、戦うべき相手が誰なのかを冷静に見極めることだろう。
先ず確かめなくてはならない。トランプはどこだ?
トランプは四つの箱のうち二つのどちらかにいる。
ビジネスパーソン向けのセミナーなどで多用される手法を使おう。やや乱暴だが実用的なツールである。
四つの象限による分類だ。
横軸の左側にグローハリズム志向、右側にナショナリズム志向を置く。
縦軸の上側に平和志向、下側に紛争志向を置く。
出来上がった四つの箱を左上から反時計回りに「グ平」箱、「グ争」箱、「ナ争」箱、「ナ平」箱と呼ぼう。
反トランプ派は、トランプがナ争箱にいると言って攻撃していると見ることが出来る。
トランプとその支持者が人種差別、宗教差別、女性蔑視を通してアメリカを引き裂き、それが排外主義となって世界に波及し、世界中に紛争と戦争をまき散らすと考えているようだ。
ここで最も重要なことは、善良な反トランプ派が自分の仲間はすべてグ平箱に住んでいると思い込んでいることだ。
さらに、彼らはナショナリストがすべて好戦的で排他的だと信じこんでいる。つまり、彼らはナ平箱とその住人の存在を認めていないのだ。
すなわち、善良な反トランプ派の人々には、ここで仮定している四象限が見えていない。対立軸が一本しかなくて、グローバリスト=平和主義者 対 ナショナリスト=好戦的排他主義者 の構図になっているのだ。
一般に、人がある対象に強い嫌悪感ないし怒りを感じるとき、特にその感情が反射的に湧きあがるときには、一息置いて冷静にその嫌悪感の源泉を省みた方がいい。
知らず知らずのうちに不合理な偏見に支配されているかも知れないからだ。洗脳されているかもしれない!
さあ、果たしてグローバリストは全て平和主義者なのだろうか。また、ナショナリストはすべて好戦的な差別主義者なのだろうか。
ここから議論を始めないと、真の敵を見誤る。味方を攻撃してしまう。オウンゴールをやらかしてしまう。
最初の論点に戻ろう。人種差別、宗教差別、女性蔑視によって分断された今のアメリカを作ったのは、トランプ支持者やナショナリストたちだっただろうか。
人種差別、宗教差別、ジェンダー差別は、グローバリストの間には存在しないのだろうか。
人種差別、宗教差別、ジェンダー差別は、建国以来アメリカに存在した。その是正が長い紆余曲折の歴史を通じて行われてきたというのが真実だろう。
では今更それが爆発しなければならない原因はどこにあるのだろう。トランプ的人間が出てきたからだというのは説明になっていない。
ジェンダー差別は別件逮捕だからさておくとして、人種差別、宗教差別の圧力の高まりは、一つには国内産業の衰退による白人貧困層と不法移民を含む移民の間の労働機会の奪い合いが原因だろう。もう一つの原因は、中東地域の様々な紛争とそれらに関連するテロの頻発を淵源とするイスラム教徒の移民の増加と彼らに対する偏見の高まりだろう。
この二つの原因を作り出したのは、トランプ的アメリカ、すなわちナショナリストの仕業ではない。
これらの原因を作り出したのは、国内産業を空洞化させたマルチナショナルビッグビジネスであり、石油その他天然資源をコントロールするために関係諸国の政治と紛争に介入し続けるグローバリストたちである。
しかも彼らはその罪の隠ぺいのために、口では世界は一つ、人類はみな平等、人権第一を歌い上げている。
このシステムの中心にいる勢力は、例の四象限で言えば、グ争箱に巣くっている連中だ。彼らこそ本物のグローバリストであり、善良で純真なグ平箱の人々を騙してナショナリストたちへの攻撃にむかわせているのだ。
このグローバリストたちから多額の資金を得て政治を動かしている政治家の代表格は、ヒラリークリントンだ。
このからくりに気が付けば、グ平派の人々は、グローバリズムの罪深さを悟ってナ平箱へと移転して来るはずではないか。
それでもなおナショナリズムという言葉の響きに強い抵抗を持つ人々に問いたい。
自国の文化、伝統、国土を愛しその利益を優先する国民は、悪人なのだろうか。それらの国民同士は、争いをする以外にないのだろうか。
異なる文化、異なる思想、異なる歴史、異なる利害を持つもの同士が、互いに相手を認めあい、尊重し、共存の道を求めて妥協点を探ることこそが、私たちの目指す国際社会なのではないのか。
ならばなぜ、ナショナリズムを憎まなければならないのか。世界を一つにしてあらゆる国境をなくさなければ仲良くなれないというのは、論理の飛躍であり、非現実的な考えだ。
それどころか、この考えこそが問題を深刻化させてきたことを銘記しなければならない。
今こそグローバリズムの内包する矛盾と欺瞞に気付く時だ。
グロバリズムの頂点にいる連中は、いくつもの国に会社を持ち、いくつもの国に預金口座を持ち、いくつもの国に投資し、豪華ヨットや自家用ジェットで世界中を駆け回り、主に英語を話し、世界中の同類たちと高価な酒を酌み交わしながら情報交換をしている連中である。
そして彼らは、いくつもの国に高い壁で囲った屋敷を持ち暮らしている。決して善良無垢な各国国民と生活空間をともにするような輩ではない。、
あなたたちがどんなに崇敬し、憧れ、慕おうと、決してあなたたちを大事にしてくれるような人たちではない。
最後に、あなたたちはどの箱にいるのか。
話は逆で、抜き差しならぬ分断が大きくなりすぎたからトランプが出現したのだ。
ヒラリーとトランプ、オバマとトランプが表向きまたは政治的に和解劇を演出しているにも関わらず、一部アメリカ国民が暴動まがいの反トランプデモを行い、それを例によってメディアが煽っている。
ここで良識あるアメリカ国民と日本人を含む世界の人たちに必要なのは、戦うべき相手が誰なのかを冷静に見極めることだろう。
先ず確かめなくてはならない。トランプはどこだ?
トランプは四つの箱のうち二つのどちらかにいる。
ビジネスパーソン向けのセミナーなどで多用される手法を使おう。やや乱暴だが実用的なツールである。
四つの象限による分類だ。
横軸の左側にグローハリズム志向、右側にナショナリズム志向を置く。
縦軸の上側に平和志向、下側に紛争志向を置く。
出来上がった四つの箱を左上から反時計回りに「グ平」箱、「グ争」箱、「ナ争」箱、「ナ平」箱と呼ぼう。
反トランプ派は、トランプがナ争箱にいると言って攻撃していると見ることが出来る。
トランプとその支持者が人種差別、宗教差別、女性蔑視を通してアメリカを引き裂き、それが排外主義となって世界に波及し、世界中に紛争と戦争をまき散らすと考えているようだ。
ここで最も重要なことは、善良な反トランプ派が自分の仲間はすべてグ平箱に住んでいると思い込んでいることだ。
さらに、彼らはナショナリストがすべて好戦的で排他的だと信じこんでいる。つまり、彼らはナ平箱とその住人の存在を認めていないのだ。
すなわち、善良な反トランプ派の人々には、ここで仮定している四象限が見えていない。対立軸が一本しかなくて、グローバリスト=平和主義者 対 ナショナリスト=好戦的排他主義者 の構図になっているのだ。
一般に、人がある対象に強い嫌悪感ないし怒りを感じるとき、特にその感情が反射的に湧きあがるときには、一息置いて冷静にその嫌悪感の源泉を省みた方がいい。
知らず知らずのうちに不合理な偏見に支配されているかも知れないからだ。洗脳されているかもしれない!
さあ、果たしてグローバリストは全て平和主義者なのだろうか。また、ナショナリストはすべて好戦的な差別主義者なのだろうか。
ここから議論を始めないと、真の敵を見誤る。味方を攻撃してしまう。オウンゴールをやらかしてしまう。
最初の論点に戻ろう。人種差別、宗教差別、女性蔑視によって分断された今のアメリカを作ったのは、トランプ支持者やナショナリストたちだっただろうか。
人種差別、宗教差別、ジェンダー差別は、グローバリストの間には存在しないのだろうか。
人種差別、宗教差別、ジェンダー差別は、建国以来アメリカに存在した。その是正が長い紆余曲折の歴史を通じて行われてきたというのが真実だろう。
では今更それが爆発しなければならない原因はどこにあるのだろう。トランプ的人間が出てきたからだというのは説明になっていない。
ジェンダー差別は別件逮捕だからさておくとして、人種差別、宗教差別の圧力の高まりは、一つには国内産業の衰退による白人貧困層と不法移民を含む移民の間の労働機会の奪い合いが原因だろう。もう一つの原因は、中東地域の様々な紛争とそれらに関連するテロの頻発を淵源とするイスラム教徒の移民の増加と彼らに対する偏見の高まりだろう。
この二つの原因を作り出したのは、トランプ的アメリカ、すなわちナショナリストの仕業ではない。
これらの原因を作り出したのは、国内産業を空洞化させたマルチナショナルビッグビジネスであり、石油その他天然資源をコントロールするために関係諸国の政治と紛争に介入し続けるグローバリストたちである。
しかも彼らはその罪の隠ぺいのために、口では世界は一つ、人類はみな平等、人権第一を歌い上げている。
このシステムの中心にいる勢力は、例の四象限で言えば、グ争箱に巣くっている連中だ。彼らこそ本物のグローバリストであり、善良で純真なグ平箱の人々を騙してナショナリストたちへの攻撃にむかわせているのだ。
このグローバリストたちから多額の資金を得て政治を動かしている政治家の代表格は、ヒラリークリントンだ。
このからくりに気が付けば、グ平派の人々は、グローバリズムの罪深さを悟ってナ平箱へと移転して来るはずではないか。
それでもなおナショナリズムという言葉の響きに強い抵抗を持つ人々に問いたい。
自国の文化、伝統、国土を愛しその利益を優先する国民は、悪人なのだろうか。それらの国民同士は、争いをする以外にないのだろうか。
異なる文化、異なる思想、異なる歴史、異なる利害を持つもの同士が、互いに相手を認めあい、尊重し、共存の道を求めて妥協点を探ることこそが、私たちの目指す国際社会なのではないのか。
ならばなぜ、ナショナリズムを憎まなければならないのか。世界を一つにしてあらゆる国境をなくさなければ仲良くなれないというのは、論理の飛躍であり、非現実的な考えだ。
それどころか、この考えこそが問題を深刻化させてきたことを銘記しなければならない。
今こそグローバリズムの内包する矛盾と欺瞞に気付く時だ。
グロバリズムの頂点にいる連中は、いくつもの国に会社を持ち、いくつもの国に預金口座を持ち、いくつもの国に投資し、豪華ヨットや自家用ジェットで世界中を駆け回り、主に英語を話し、世界中の同類たちと高価な酒を酌み交わしながら情報交換をしている連中である。
そして彼らは、いくつもの国に高い壁で囲った屋敷を持ち暮らしている。決して善良無垢な各国国民と生活空間をともにするような輩ではない。、
あなたたちがどんなに崇敬し、憧れ、慕おうと、決してあなたたちを大事にしてくれるような人たちではない。
最後に、あなたたちはどの箱にいるのか。
2016年11月9日水曜日
トランプという希望
トランプが勝った。
すなわちMSM(メインストリームメディア)が負けた。
あれだけ反トランプキャンペーンに躍起になったにもかかわらずやられたのだから、さぞショックだろう。
そしてこの敗北はあのBrexitに続いての敗北だ。
世界全体が音を立てて変化している。
トランプ現象とBrexitいずれも、実は一つの大戦争の二つの戦闘だ。
戦争の対立軸は、グローバリズム対ナショナリズムであり、多国籍資本対国民経済であり、支配層対非支配層であり、富裕層対貧困層であり、特権階級対大衆であり、進歩主義対保守主義である。
前者勢力の代表がウォール街であり軍産複合体であり石油資本である。そして注意すべきは、MSMはそちら側の重要なプレーヤーだということだ。
つまり、MSMはグローバリストの宣伝機関または洗脳機関なのだ。
と言っても、議論が飛躍しすぎて腑に落ちないだろう。
次のように言えば分かりやすいかもしれない。
世界の政治と経済を牛耳っている勢力は、国境を超えて経済活動を展開し、各国の主権と法制度を敵視している連中である。決してアメリカ政府そのものではない。
世界中に紛争を起こし、地域を間接支配し、石油を確保し、金融をコントロールし、もうけた金をタックスヘイブンに蓄える。
カネとモノとヒトを国境を越えて自由に行き来させることが彼らの利益を生む。
必然的に各国の文化的特異性も邪魔になる。
二十世紀の後半から世界中の人が、とりわけ日本人が、彼らのプロパガンダに犯され続けてきた。
アメリカ国民も、日本人とは違った経緯で、強力に洗脳されてきた。
その魔法がいま溶けようとしている。
政治的建前から本音重視への移行である。
オバマ時代は、ポリティカルコレクトネスの頂点だった。建前で現実を処理することはできないから、当然オバマ政治は失敗した。
オバマに「チェンジ」の夢を見たアメリカ国民は、彼のキレイゴトに無残に裏切られて、今度は、彼らの本音を拡声器で叫んでくれる、下品だが頼りになりそうなトランプ親分に賭けてみる気になったのだ。
「地球市民」などは、「非武装中立平和主義」と同様、マヤカシであり、幻想であり、偽善的言説であり、それどころか危険思想でさえあるのだ。国境はすなわち国家主権であり、国家は私たちの生存と安全に不可欠なのだ。
国境の壁は、目に見えるものであろうがなかろうが、必要なのだ。
私も、トランプにささやかな希望を託す一人である。
むっつりス〇〇より陽気なス〇〇の方がましだとか、インテリづらの犯罪者より下品な正直者の方がましだとかという次元の話ではない。
本来の政治の機能を少しでも取り戻して、世界的な支配と被支配の関係を打ち壊す端緒を作ってくれないかという期待だ。
それは、地球規模の欺瞞を闇から引きずり出して、政治を本音に近づけることから始まるのではないかと考えるからだ。
日本国の在り方も、やっとそこから議論が始められるからだ。漸く日本の国体と防衛について、本当のことを話し合える時代が来たのかもしれない。
ただ、恐ろしいのは、グローバル支配勢力からの反撃だ。彼らには膨大なカネとネットワークがある。
とてつもなく周到で狡猾な謀略が張られるだろう。
最も分かりやすく効果的なのは、トランプの暗殺か。極東の独裁者の暗殺よりもずっとありそうな話だ。
げに恐ろしきはグローバリストである。
すなわちMSM(メインストリームメディア)が負けた。
あれだけ反トランプキャンペーンに躍起になったにもかかわらずやられたのだから、さぞショックだろう。
そしてこの敗北はあのBrexitに続いての敗北だ。
世界全体が音を立てて変化している。
トランプ現象とBrexitいずれも、実は一つの大戦争の二つの戦闘だ。
戦争の対立軸は、グローバリズム対ナショナリズムであり、多国籍資本対国民経済であり、支配層対非支配層であり、富裕層対貧困層であり、特権階級対大衆であり、進歩主義対保守主義である。
前者勢力の代表がウォール街であり軍産複合体であり石油資本である。そして注意すべきは、MSMはそちら側の重要なプレーヤーだということだ。
つまり、MSMはグローバリストの宣伝機関または洗脳機関なのだ。
と言っても、議論が飛躍しすぎて腑に落ちないだろう。
次のように言えば分かりやすいかもしれない。
世界の政治と経済を牛耳っている勢力は、国境を超えて経済活動を展開し、各国の主権と法制度を敵視している連中である。決してアメリカ政府そのものではない。
世界中に紛争を起こし、地域を間接支配し、石油を確保し、金融をコントロールし、もうけた金をタックスヘイブンに蓄える。
カネとモノとヒトを国境を越えて自由に行き来させることが彼らの利益を生む。
必然的に各国の文化的特異性も邪魔になる。
二十世紀の後半から世界中の人が、とりわけ日本人が、彼らのプロパガンダに犯され続けてきた。
アメリカ国民も、日本人とは違った経緯で、強力に洗脳されてきた。
その魔法がいま溶けようとしている。
政治的建前から本音重視への移行である。
オバマ時代は、ポリティカルコレクトネスの頂点だった。建前で現実を処理することはできないから、当然オバマ政治は失敗した。
オバマに「チェンジ」の夢を見たアメリカ国民は、彼のキレイゴトに無残に裏切られて、今度は、彼らの本音を拡声器で叫んでくれる、下品だが頼りになりそうなトランプ親分に賭けてみる気になったのだ。
「地球市民」などは、「非武装中立平和主義」と同様、マヤカシであり、幻想であり、偽善的言説であり、それどころか危険思想でさえあるのだ。国境はすなわち国家主権であり、国家は私たちの生存と安全に不可欠なのだ。
国境の壁は、目に見えるものであろうがなかろうが、必要なのだ。
私も、トランプにささやかな希望を託す一人である。
むっつりス〇〇より陽気なス〇〇の方がましだとか、インテリづらの犯罪者より下品な正直者の方がましだとかという次元の話ではない。
本来の政治の機能を少しでも取り戻して、世界的な支配と被支配の関係を打ち壊す端緒を作ってくれないかという期待だ。
それは、地球規模の欺瞞を闇から引きずり出して、政治を本音に近づけることから始まるのではないかと考えるからだ。
日本国の在り方も、やっとそこから議論が始められるからだ。漸く日本の国体と防衛について、本当のことを話し合える時代が来たのかもしれない。
ただ、恐ろしいのは、グローバル支配勢力からの反撃だ。彼らには膨大なカネとネットワークがある。
とてつもなく周到で狡猾な謀略が張られるだろう。
最も分かりやすく効果的なのは、トランプの暗殺か。極東の独裁者の暗殺よりもずっとありそうな話だ。
げに恐ろしきはグローバリストである。
2016年8月16日火曜日
百田尚樹『カエルの楽園』の意味
あまりに単純素朴で何のヒネリもない寓話だ。結末は読み始めから見えている。
寓話の価値は、単純な例え話を使って分かりにくい真実に気付かせてくれること。
この本の寓意はあまりに当たり前過ぎて、私に何の新しい気付きも与えてくれない。多くの大人の読者に共通の感想だろう。
一方、いわゆる第9条信者にとって、百田尚樹の本など目にするだに汚らわしいだろうから、彼らが読んで何かに気付くことなどあり得ない。
多くの小学生か中学生に読んでもらいたい本だ。
現代日本という特異な言論世界以外では童話としてしか成立しない本だ。
寓話の価値は、単純な例え話を使って分かりにくい真実に気付かせてくれること。
この本の寓意はあまりに当たり前過ぎて、私に何の新しい気付きも与えてくれない。多くの大人の読者に共通の感想だろう。
一方、いわゆる第9条信者にとって、百田尚樹の本など目にするだに汚らわしいだろうから、彼らが読んで何かに気付くことなどあり得ない。
多くの小学生か中学生に読んでもらいたい本だ。
現代日本という特異な言論世界以外では童話としてしか成立しない本だ。
2016年2月18日木曜日
今日の新聞から明日の日本を考える
主要紙を全て購読する偉い先生方とは違って、わが家には日経しか来ない。
その日経も実は妻の愛読紙で、私は普段ざっと目を通す程度だが、今日の紙面には興味を引く見出しが満載で、珍しく真面目に読み込んだ。
「中国、実効支配へ強硬 南シナ海西沙にミサイル配備」
「対話外交手詰まり 修正迫られる米大統領」
以上、一面ではなく三面にあるのがなんとも言えない。
そして国際面に「すれ違う米・ASEAN」。
幕末以来の国難は勿論我国の望んだものではなく、その後日本は次々に降りかかる外敵の脅威を懸命に払い除けながら、知恵を絞り、歯を食いしばり、脂汗を流し、夜も寝られずにやっとの思いで生き延びて独立を守ってきたが、ついにはアメリカの挑発に誘い込まれて無理な戦争を始め、結果、完膚なきまでに叩きのめされた。
戦後は辱められ、封じ込められながら、ひたすらアメリカ様に精一杯の恭順を示しつつ、持ち前の勤勉と我慢強さで、経済においては一等国の地位に帰り咲くことができた。
その後ソ連が崩壊し米ソ冷戦は終わったが、共産中国が初めは静かにやがて喧しく台頭し、最近はついにアメリカと共同して世界を分担統治しようとまで宣い出すに至った。
かたや親方アメリカは、徐々に国力を弱め、財政の限界と内政の不安定もあって、もうかつてのごとき世界の警察官ヅラはとても続けられないとの自覚に傾きつつある。
今日の新聞記事を読み解けば、表向きアメリカは、日本を含むアジアの同盟国に対し頼もしい用心棒役を続けるふりを装いながら、しかし一方で、思い切った手が打てない苦悩をちらつかせて、少しづつ少しづつ同盟国のあきらめと自立を促しているように見える。
この見立てが当たっているなら、今のオバマの対中姿勢は、ついこの間のB52の飛行やその前の駆逐艦の巡航も含め、ただのアリバイ作りと時間稼ぎということになる。
米中間で密約が存在するかどうか私ごとき庶民が知る由もないが、両国が少なくとも暗黙の合意を予定してメクバセを交わしながら芝居を打っている可能性が極めて高い、と私には見える。
偵察衛星は日に何度か南シナ海の上を通っているわけで、どんなに作業を急いでも地対空ミサイル配備の様子は何日も前から観察されていたに違いない。出来ちゃってから騒ぐこと自体、断固阻止の意思が無かったことの何よりの証拠である。そしてそのアメリカの本音は、自動的に中国に理解される。
核保有国同士の米中が全面戦争を避けるのは当たり前で、したたかに着々と覇権を目指す中国と、図らずもジリジリと後退を余儀なくされるアメリカとの間で、アジアにおける疑似冷戦(実は共同管理)が演じられても何の不思議もない。
いや、アメリカが日本を差し置いて中国を共同管理パートナーに選ぶはずがないと信じる日本人は多いだろうが、アメリカにしてみれば、いまだに軍隊禁止の憲法を直さないばかりか、万国に自然権として認められる集団的自衛権をすら限定的にしか行使できないトンデモ国家を、冷厳苛酷な国際政治戦の共同パートナーなどによもや選ぼうはずがない。
日本人には大いに心外だろうが、アメリカにとって、日本に対する友情(そんなものがあればの話だが)など、自国の安全の前では藁一筋の重みもないのは自明だ。いや、多くのアメリカ人は、実は昔から日本よりも中国に対する尊敬ないし憧憬の念のほうが強い。
ついでに言えば、戦後アメリカの対日政策は、口先では最重要同盟国としながら、裏ではいわゆる「二重封じ込め戦略」と「米中共同封じ込め戦略」を相次いで適用してきた。後者は私も最近知った驚くべき事実だ。
国際政治アナリストの伊藤貫によれば、米中の対日共同封じ込め戦略は、1972年2月のニクソン訪中時に正式合意された。National Security Archiveの公開する米政府の外交資料に載っているそうだ。
などと論じると、国内の反日工作勢力や空想的平和主義者たちは、そんな頼りない日米同盟ならばそもそも必要ないではないかなどと嬉々として叫び出すかもしれない。
それは、「十分でないものは必要でない」という非論理的で幼児的な議論だ。一般論としても、自国の安全を同盟だけに頼ることは不十分だが、それは同盟不要を当然に結論づけるわけではない。
日本の現状を見れば、日米同盟なしに中国の軍事脅威に対する安全保証が覚束ないのは明らかである。逆に、日米同盟があれば、100パーセントの保証はなくても、相当の抑止効果は期待できる。
そもそもこの間までの日本のように集団的自衛権の行使を否定している国が軍事同盟を結ぶこと自体意味をなさない。だから、日米同盟を実質的に成り立たせるために先の安保法制は最低限の必要条件であった。
さらに、憲法九条の制約を除いて世間並みの軍事力を持つことができれば、抑止力はさらに向上する。
一方、軍事同盟も否定し、現在の不完全な軍事力(自衛隊)をそのままにしておけば、中国の拡張主義を促進することとなろう。
くどくど確認することも憚られるほどの簡単明瞭な理屈だ。
阿部さんと保守勢力の有志は、憲法改正の早期実現への努力をいよいよ声高に宣言し出したが、先般の安保法制論争時、野党やマスコミ各社、一部学者、「有識者」や、その他有象無象の反対キャンペーンのバカ騒ぎぶりを見ると、改正実現にはまだ相当の時間がかかるだろう。
こんな不吉な予想はしたくないが、尖閣が取られ、さらに沖縄の領有権が脅かされるに及んで漸く国論は憲法改正になびくのではなかろうか。
アメリカは勿論、阿部さんすら腹のうちではそれを想定済なのではなかろうか。逆に、そのくらいの現実的洞察を持っていなければ宰相失格かも知れない。
さて中国の南シナ海ミサイル配備という重大ニュースを押しのけて、きょうの日経一面に取り上げられた面白い記事がある。
「USJ、沖縄進出撤回検討」だ。「採算見込めず」が理由とされるが、果たして本当か。
USJは、昨年秋にコムキャストが買収した。さすがにアメリカのメディア大手だ。間近に迫る沖縄およびその周辺の政治的および軍事的リスクの影響を懸念し始めても不思議はない。記事はそんなことに毛ほども触れていないが。
アメリカは漸次撤退する。中国は漸次拡張する。互いに戦争を望まないとすれば、両者はどこかで勢力の均衡を求め当面の折り合いを付ける。そしてその均衡点も永遠のものではない。このままの日本では、両大国のその枠組みの中で小突きまわされるしかない。例によって何らかの代理戦争が仕掛けられてもおかしくない。場合によっては中国の属国化を余儀なくされるかも知れない。と知るべきである。
幕末期の重大危機の再来である。大袈裟ではない。
されば日本の進むべき道は、まず日米安保の確保。次に九条改正と軍備増強。同時にASEAN、インド、豪州との同盟の確立。ロシアとの関係強化。さらには、英仏型核武装「Minimum Deterrence」を含む自主防衛体制の検討だろう。
大きな攪乱要因は中国共産党政権の瓦解の可能性であるが、これは今のところ見切ることが出来ないし、仮にこれが現実となった場合、日本の安全保障上のリスクがどの程度減るのか増えるのか、今の私には見当が付かない。
その日経も実は妻の愛読紙で、私は普段ざっと目を通す程度だが、今日の紙面には興味を引く見出しが満載で、珍しく真面目に読み込んだ。
「中国、実効支配へ強硬 南シナ海西沙にミサイル配備」
「対話外交手詰まり 修正迫られる米大統領」
以上、一面ではなく三面にあるのがなんとも言えない。
そして国際面に「すれ違う米・ASEAN」。
幕末以来の国難は勿論我国の望んだものではなく、その後日本は次々に降りかかる外敵の脅威を懸命に払い除けながら、知恵を絞り、歯を食いしばり、脂汗を流し、夜も寝られずにやっとの思いで生き延びて独立を守ってきたが、ついにはアメリカの挑発に誘い込まれて無理な戦争を始め、結果、完膚なきまでに叩きのめされた。
戦後は辱められ、封じ込められながら、ひたすらアメリカ様に精一杯の恭順を示しつつ、持ち前の勤勉と我慢強さで、経済においては一等国の地位に帰り咲くことができた。
その後ソ連が崩壊し米ソ冷戦は終わったが、共産中国が初めは静かにやがて喧しく台頭し、最近はついにアメリカと共同して世界を分担統治しようとまで宣い出すに至った。
かたや親方アメリカは、徐々に国力を弱め、財政の限界と内政の不安定もあって、もうかつてのごとき世界の警察官ヅラはとても続けられないとの自覚に傾きつつある。
今日の新聞記事を読み解けば、表向きアメリカは、日本を含むアジアの同盟国に対し頼もしい用心棒役を続けるふりを装いながら、しかし一方で、思い切った手が打てない苦悩をちらつかせて、少しづつ少しづつ同盟国のあきらめと自立を促しているように見える。
この見立てが当たっているなら、今のオバマの対中姿勢は、ついこの間のB52の飛行やその前の駆逐艦の巡航も含め、ただのアリバイ作りと時間稼ぎということになる。
米中間で密約が存在するかどうか私ごとき庶民が知る由もないが、両国が少なくとも暗黙の合意を予定してメクバセを交わしながら芝居を打っている可能性が極めて高い、と私には見える。
偵察衛星は日に何度か南シナ海の上を通っているわけで、どんなに作業を急いでも地対空ミサイル配備の様子は何日も前から観察されていたに違いない。出来ちゃってから騒ぐこと自体、断固阻止の意思が無かったことの何よりの証拠である。そしてそのアメリカの本音は、自動的に中国に理解される。
核保有国同士の米中が全面戦争を避けるのは当たり前で、したたかに着々と覇権を目指す中国と、図らずもジリジリと後退を余儀なくされるアメリカとの間で、アジアにおける疑似冷戦(実は共同管理)が演じられても何の不思議もない。
いや、アメリカが日本を差し置いて中国を共同管理パートナーに選ぶはずがないと信じる日本人は多いだろうが、アメリカにしてみれば、いまだに軍隊禁止の憲法を直さないばかりか、万国に自然権として認められる集団的自衛権をすら限定的にしか行使できないトンデモ国家を、冷厳苛酷な国際政治戦の共同パートナーなどによもや選ぼうはずがない。
日本人には大いに心外だろうが、アメリカにとって、日本に対する友情(そんなものがあればの話だが)など、自国の安全の前では藁一筋の重みもないのは自明だ。いや、多くのアメリカ人は、実は昔から日本よりも中国に対する尊敬ないし憧憬の念のほうが強い。
ついでに言えば、戦後アメリカの対日政策は、口先では最重要同盟国としながら、裏ではいわゆる「二重封じ込め戦略」と「米中共同封じ込め戦略」を相次いで適用してきた。後者は私も最近知った驚くべき事実だ。
国際政治アナリストの伊藤貫によれば、米中の対日共同封じ込め戦略は、1972年2月のニクソン訪中時に正式合意された。National Security Archiveの公開する米政府の外交資料に載っているそうだ。
などと論じると、国内の反日工作勢力や空想的平和主義者たちは、そんな頼りない日米同盟ならばそもそも必要ないではないかなどと嬉々として叫び出すかもしれない。
それは、「十分でないものは必要でない」という非論理的で幼児的な議論だ。一般論としても、自国の安全を同盟だけに頼ることは不十分だが、それは同盟不要を当然に結論づけるわけではない。
日本の現状を見れば、日米同盟なしに中国の軍事脅威に対する安全保証が覚束ないのは明らかである。逆に、日米同盟があれば、100パーセントの保証はなくても、相当の抑止効果は期待できる。
そもそもこの間までの日本のように集団的自衛権の行使を否定している国が軍事同盟を結ぶこと自体意味をなさない。だから、日米同盟を実質的に成り立たせるために先の安保法制は最低限の必要条件であった。
さらに、憲法九条の制約を除いて世間並みの軍事力を持つことができれば、抑止力はさらに向上する。
一方、軍事同盟も否定し、現在の不完全な軍事力(自衛隊)をそのままにしておけば、中国の拡張主義を促進することとなろう。
くどくど確認することも憚られるほどの簡単明瞭な理屈だ。
阿部さんと保守勢力の有志は、憲法改正の早期実現への努力をいよいよ声高に宣言し出したが、先般の安保法制論争時、野党やマスコミ各社、一部学者、「有識者」や、その他有象無象の反対キャンペーンのバカ騒ぎぶりを見ると、改正実現にはまだ相当の時間がかかるだろう。
こんな不吉な予想はしたくないが、尖閣が取られ、さらに沖縄の領有権が脅かされるに及んで漸く国論は憲法改正になびくのではなかろうか。
アメリカは勿論、阿部さんすら腹のうちではそれを想定済なのではなかろうか。逆に、そのくらいの現実的洞察を持っていなければ宰相失格かも知れない。
さて中国の南シナ海ミサイル配備という重大ニュースを押しのけて、きょうの日経一面に取り上げられた面白い記事がある。
「USJ、沖縄進出撤回検討」だ。「採算見込めず」が理由とされるが、果たして本当か。
USJは、昨年秋にコムキャストが買収した。さすがにアメリカのメディア大手だ。間近に迫る沖縄およびその周辺の政治的および軍事的リスクの影響を懸念し始めても不思議はない。記事はそんなことに毛ほども触れていないが。
アメリカは漸次撤退する。中国は漸次拡張する。互いに戦争を望まないとすれば、両者はどこかで勢力の均衡を求め当面の折り合いを付ける。そしてその均衡点も永遠のものではない。このままの日本では、両大国のその枠組みの中で小突きまわされるしかない。例によって何らかの代理戦争が仕掛けられてもおかしくない。場合によっては中国の属国化を余儀なくされるかも知れない。と知るべきである。
幕末期の重大危機の再来である。大袈裟ではない。
されば日本の進むべき道は、まず日米安保の確保。次に九条改正と軍備増強。同時にASEAN、インド、豪州との同盟の確立。ロシアとの関係強化。さらには、英仏型核武装「Minimum Deterrence」を含む自主防衛体制の検討だろう。
大きな攪乱要因は中国共産党政権の瓦解の可能性であるが、これは今のところ見切ることが出来ないし、仮にこれが現実となった場合、日本の安全保障上のリスクがどの程度減るのか増えるのか、今の私には見当が付かない。
2015年8月2日日曜日
日本の議論(3) コント「熱中症対策」
(注意: このコントはフィクションです。某国の国会論戦とはなんの関係もありません。延々続きます。ウンザリしたところで読むのやめてください。最後まで読んでも、何の役にも立ちません。)
ヒノモト中学の職員会議で・・・
生活安全対策担当の教員A: お手元のプリントをご覧下さい。今年生徒に配布する「夏休みの注意事項」に「熱中症予防のため外出時には十分な飲料水を携行すること」という一項を付け加えることを提案いたします。
教員B: どうして飲料水の携行が必要なんですか。
A: いやー、どうしてって、最近熱中症患者発生のニュースが頻繁に報道されていますし・・・
B: そんなことはわかっているんですが、なぜ飲料水が必要なんですかと質問しているんですよ。ちゃんと質問を聞いてくださいよ。
A: えっ、脱水症を予防するために水分を取らなければいけないというのは、医学的にも・・・
B: ちょっと待ってください。脱水症?あなたが提案しているのは熱中症の予防のことではないんですか。
A: いやいや・・・脱水症が熱中症を引き起こすというか、脱水症だから熱中症になるというか・・・確かそうですよね。でしょ??
B: そうですよねって、あなたが提案しているのでしょう。そんなこともわかっていないのに提案しているんですか。
A: ・・・
B: じゃ、お聞きしますが、脱水症にならなくても熱中症になるケースというのは医学的にありえないと、こう、あなたは主張するんですか。
A: はぁ・・・そういうこともあるかもしれませんが・・・
B: そもそも、水だけでいいんですか? 塩分についてなんで書かないんですか。
A: そりゃ、塩分も・・・
B: マグネシウムは?
A: ・・・
B: 答えてくださいよ。熱中症をあなたはなめてるんじゃないんですか。熱中症で死ぬ人もあるんですよ。え!
A: わかってますよ。だから今回注意事項に加えるべきだと・・・
B: じゃー、一体、どれだけの飲料水を持ち歩けば、熱中症にならないんですか。100ミリリットル?500ミリリットル?それとも1000CC?!
A: それはそのときの気温にもよると思いますし、本人の体調や、体格にも・・・
B: いいでしょう。じゃーですよ。例えば体重60キロ、身長170センチの男子の場合はどうですか。
A: そんなー・・・ 気温にもよるでしょうし。
B: 気温にもよる? じゃー湿度は関係ないとでも言うのですか。驚いたなこりゃー! たいした医学的根拠だ!
A: ・・・
B: そんないい加減な知識で、この重大な問題の対策を提案しているわけですか。あきれてものが言えませんね。じゃーね、あなたは、「飲料水」と書いていますが、これは水道水のことを言っているのですか。
A: いや、別に水道水でなくても、井戸水でもいいし、ポカリスエットでもなんでも・・・
B: バカなこと言わないでくださいよ。井戸水って、それは、飲料適格検査をちゃんと通しているんですか。
A: じゃ、井戸水は除外するということに・・・
B: 井戸水撤回するんですか。たった一分前の発言をもう、撤回するんですか。なんていい加減な回答なんですか。言ったことをそうやってころころ変えないでくださいよ。
A: ・・・
B: いいでしょう。私はもともと井戸水の話なんか、話そうとしたんじゃないんです。あなたがそんな無謀な議論を始めるからでしょ。それよりA先生、いま、ぽろっと本音が出ちゃいましたよね。ね!
A: 何のことです??
B: 井戸水のあとですよ、えっ!
A: 井戸水のあとって???
B: ポカリスエットってはっきり言ったでしょ、えっ?! A先生、とぼけるつもりですか。そうは行きませんよ。ほかの先生も聞きましたよね。
A: あぁ、ポカリスエットって言いましたけど。それが何か? 別にアクエリアスでもいいですけど。
B: アクエリアスでもいい? おとぼけがうまいですねー。そりゃー、ポカリでもアクエでもいいでしょうよ。
A: ・・・ どういうことですか???
B: じゃー、言ってもいいんですね。あなた先週の金曜の夜、どこにいました?
A: 先週の金曜??? 何ですかいきなり。
B: とぼけないでくださいよ。いいでしょう、時間の無駄ですから私のほうから言いましょう。私偶然見たんですよ、A先生が、あの晩、帰宅途中、ヨネクニ商店の奥さんとヒソヒソ話し込んでるのを。
A: ヒソヒソ・・・話し込んでる・・・??? ああ、あの日は珍しく早めに学校を出られて、ヨネクニ商店まだやっていたんで、カップラーメンを買ったんですよ。そしたら奥さんが、うちの子がいつもお世話になってますって言うんで・・・
B: あそこの子は、二年のときからA先生のクラスでしたよね。
A: そうですよ。だからお母さんとは何回も話したことがありますし・・・
B: 何回も・・・話したことが? それだけですか。
A: なっ、なんです。それだけかって?
B: うーん・・・顔色が変わりましたね。確かに変わりましたよ。
A: イッタイ、ナニイッテンデスカ!!
B: いやいや、何も言ってませんよ。どうせ、はっきりした証拠はない訳だし。ただのうわさだって言われりゃー、それまでだし。
A: つまらない言いがかりはやめてください!!
B: ま、そう興奮しないで。でもね、あそこのご主人、二年前に癌でなくなってますよねぇ。
A: だから何だって言うんですかあー!!!
B: A先生、ヨネクニ商店の前には自動販売機が3台置いてありますよね。ポカリ、アクエも、そのほかにもたくさん飲料水を売ってますよね。
A: イッタイ、なんの話なんですか?!
B: じゃー、はっきり言いましょう。今度の件は、ヨネクニの奥さんに頼まれたんじゃないですか?
A: バカもいい加減にしてください。第一、飲料水なら、ヨネクニじゃなくたって、そこらじゅうのコンビニとか・・・自動販売機だって町中にたくさん・・・
B: そりゃ、ほかでも買うことは可能ですよ。でも、うちの生徒のほとんどにとって、一番便利に利用できるのがヨネクニの自動販売機じゃないんですかね。
A: そんなこと知りませんよ。
B: いったい、うちの生徒が清涼飲料水を買う場合、何パーセントがヨネクニの自動販売機を利用しているのですか。
A: そんなこと・・・
B: この提案について、事前に父兄の意見を聴取しているんですか?
A: ・・・
B: まさか一人も意見聞いていないんですか?
A: そんな必要・・・
B: えーーーー! こんな重要な件で、父兄の意見なんか聞く必要ないなんて言うんですかー? 生徒の健康に対する重大な脅威について、父兄の意見なんてって。いま、あなた、そう言いましたよね。
A: 言ってないって。そんな必要もあったかもって言おうとしたんですよ。
B: そもそも、なんでいきなり「外出時に・・・」なんですか。外出しないことのほうが効果的でしょ。必要の無い限り外出しないようにとなぜまず書かないんですか。これじゃ、外出するのが前提というか、むしろ暑いさなかに外出を促しているも同然じゃないですか。あなたは、生徒をわざわざ生命の危険のある炎天下に誘い出すつもりなんですか?
A: そんなわけないじゃないですか!
B: 校長先生、こんな重大な問題で、しかも、こんなに問題だらけの議題をですよ、今日一日で決めるなんてとんでもないと思うんですが。
A: だって来週から夏休み始まっちゃうし・・・
B: 去年の夏休みの注意事項には、この項目はなかったじゃないですか。なんで、今年になっていきなり、しかもこんな、夏休みの直前になって提案するんですか?
A: 春のうちからこんなこと話し合うわけにいかない・・・・
B: 今年の夏休みに間に合わせる必要はないでしょう。生徒の命にかかわる問題ですよ。軽々に結論を出さず、来年の夏までじっくり話し合ったらいいじゃないですか。去年はなかったんだし、来年まで待てないで今年じゃなきゃいけない根拠はあるんですか。
A: そんな、根拠ったって・・・
B: わかってますよ。ホントはどうでもいいんでしょ。生徒の健康なんて。生徒の命なんて。生徒のことを本気で考えてるんだったら、水だけじゃなくて、塩分のことだって、マグネシウムだって、そもそも、外出制限のことに触れてないことが、何よりの証拠だ。あんたはただヨネクニに頼まれて、自動販売機の売り上げを上げりゃーいいって・・・
A: もういいです!! 提案撤回します!
B: ナニ、テッカイ?! ズボシだったんでしょ!! 重要な提案じゃ無かったんですか。今更撤回なんて無責任な!
A: イイカゲンニーー、シロッ!!
A+B: アリガトーゴザイマシターー!
ヒノモト中学の職員会議で・・・
生活安全対策担当の教員A: お手元のプリントをご覧下さい。今年生徒に配布する「夏休みの注意事項」に「熱中症予防のため外出時には十分な飲料水を携行すること」という一項を付け加えることを提案いたします。
教員B: どうして飲料水の携行が必要なんですか。
A: いやー、どうしてって、最近熱中症患者発生のニュースが頻繁に報道されていますし・・・
B: そんなことはわかっているんですが、なぜ飲料水が必要なんですかと質問しているんですよ。ちゃんと質問を聞いてくださいよ。
A: えっ、脱水症を予防するために水分を取らなければいけないというのは、医学的にも・・・
B: ちょっと待ってください。脱水症?あなたが提案しているのは熱中症の予防のことではないんですか。
A: いやいや・・・脱水症が熱中症を引き起こすというか、脱水症だから熱中症になるというか・・・確かそうですよね。でしょ??
B: そうですよねって、あなたが提案しているのでしょう。そんなこともわかっていないのに提案しているんですか。
A: ・・・
B: じゃ、お聞きしますが、脱水症にならなくても熱中症になるケースというのは医学的にありえないと、こう、あなたは主張するんですか。
A: はぁ・・・そういうこともあるかもしれませんが・・・
B: そもそも、水だけでいいんですか? 塩分についてなんで書かないんですか。
A: そりゃ、塩分も・・・
B: マグネシウムは?
A: ・・・
B: 答えてくださいよ。熱中症をあなたはなめてるんじゃないんですか。熱中症で死ぬ人もあるんですよ。え!
A: わかってますよ。だから今回注意事項に加えるべきだと・・・
B: じゃー、一体、どれだけの飲料水を持ち歩けば、熱中症にならないんですか。100ミリリットル?500ミリリットル?それとも1000CC?!
A: それはそのときの気温にもよると思いますし、本人の体調や、体格にも・・・
B: いいでしょう。じゃーですよ。例えば体重60キロ、身長170センチの男子の場合はどうですか。
A: そんなー・・・ 気温にもよるでしょうし。
B: 気温にもよる? じゃー湿度は関係ないとでも言うのですか。驚いたなこりゃー! たいした医学的根拠だ!
A: ・・・
B: そんないい加減な知識で、この重大な問題の対策を提案しているわけですか。あきれてものが言えませんね。じゃーね、あなたは、「飲料水」と書いていますが、これは水道水のことを言っているのですか。
A: いや、別に水道水でなくても、井戸水でもいいし、ポカリスエットでもなんでも・・・
B: バカなこと言わないでくださいよ。井戸水って、それは、飲料適格検査をちゃんと通しているんですか。
A: じゃ、井戸水は除外するということに・・・
B: 井戸水撤回するんですか。たった一分前の発言をもう、撤回するんですか。なんていい加減な回答なんですか。言ったことをそうやってころころ変えないでくださいよ。
A: ・・・
B: いいでしょう。私はもともと井戸水の話なんか、話そうとしたんじゃないんです。あなたがそんな無謀な議論を始めるからでしょ。それよりA先生、いま、ぽろっと本音が出ちゃいましたよね。ね!
A: 何のことです??
B: 井戸水のあとですよ、えっ!
A: 井戸水のあとって???
B: ポカリスエットってはっきり言ったでしょ、えっ?! A先生、とぼけるつもりですか。そうは行きませんよ。ほかの先生も聞きましたよね。
A: あぁ、ポカリスエットって言いましたけど。それが何か? 別にアクエリアスでもいいですけど。
B: アクエリアスでもいい? おとぼけがうまいですねー。そりゃー、ポカリでもアクエでもいいでしょうよ。
A: ・・・ どういうことですか???
B: じゃー、言ってもいいんですね。あなた先週の金曜の夜、どこにいました?
A: 先週の金曜??? 何ですかいきなり。
B: とぼけないでくださいよ。いいでしょう、時間の無駄ですから私のほうから言いましょう。私偶然見たんですよ、A先生が、あの晩、帰宅途中、ヨネクニ商店の奥さんとヒソヒソ話し込んでるのを。
A: ヒソヒソ・・・話し込んでる・・・??? ああ、あの日は珍しく早めに学校を出られて、ヨネクニ商店まだやっていたんで、カップラーメンを買ったんですよ。そしたら奥さんが、うちの子がいつもお世話になってますって言うんで・・・
B: あそこの子は、二年のときからA先生のクラスでしたよね。
A: そうですよ。だからお母さんとは何回も話したことがありますし・・・
B: 何回も・・・話したことが? それだけですか。
A: なっ、なんです。それだけかって?
B: うーん・・・顔色が変わりましたね。確かに変わりましたよ。
A: イッタイ、ナニイッテンデスカ!!
B: いやいや、何も言ってませんよ。どうせ、はっきりした証拠はない訳だし。ただのうわさだって言われりゃー、それまでだし。
A: つまらない言いがかりはやめてください!!
B: ま、そう興奮しないで。でもね、あそこのご主人、二年前に癌でなくなってますよねぇ。
A: だから何だって言うんですかあー!!!
B: A先生、ヨネクニ商店の前には自動販売機が3台置いてありますよね。ポカリ、アクエも、そのほかにもたくさん飲料水を売ってますよね。
A: イッタイ、なんの話なんですか?!
B: じゃー、はっきり言いましょう。今度の件は、ヨネクニの奥さんに頼まれたんじゃないですか?
A: バカもいい加減にしてください。第一、飲料水なら、ヨネクニじゃなくたって、そこらじゅうのコンビニとか・・・自動販売機だって町中にたくさん・・・
B: そりゃ、ほかでも買うことは可能ですよ。でも、うちの生徒のほとんどにとって、一番便利に利用できるのがヨネクニの自動販売機じゃないんですかね。
A: そんなこと知りませんよ。
B: いったい、うちの生徒が清涼飲料水を買う場合、何パーセントがヨネクニの自動販売機を利用しているのですか。
A: そんなこと・・・
B: この提案について、事前に父兄の意見を聴取しているんですか?
A: ・・・
B: まさか一人も意見聞いていないんですか?
A: そんな必要・・・
B: えーーーー! こんな重要な件で、父兄の意見なんか聞く必要ないなんて言うんですかー? 生徒の健康に対する重大な脅威について、父兄の意見なんてって。いま、あなた、そう言いましたよね。
A: 言ってないって。そんな必要もあったかもって言おうとしたんですよ。
B: そもそも、なんでいきなり「外出時に・・・」なんですか。外出しないことのほうが効果的でしょ。必要の無い限り外出しないようにとなぜまず書かないんですか。これじゃ、外出するのが前提というか、むしろ暑いさなかに外出を促しているも同然じゃないですか。あなたは、生徒をわざわざ生命の危険のある炎天下に誘い出すつもりなんですか?
A: そんなわけないじゃないですか!
B: 校長先生、こんな重大な問題で、しかも、こんなに問題だらけの議題をですよ、今日一日で決めるなんてとんでもないと思うんですが。
A: だって来週から夏休み始まっちゃうし・・・
B: 去年の夏休みの注意事項には、この項目はなかったじゃないですか。なんで、今年になっていきなり、しかもこんな、夏休みの直前になって提案するんですか?
A: 春のうちからこんなこと話し合うわけにいかない・・・・
B: 今年の夏休みに間に合わせる必要はないでしょう。生徒の命にかかわる問題ですよ。軽々に結論を出さず、来年の夏までじっくり話し合ったらいいじゃないですか。去年はなかったんだし、来年まで待てないで今年じゃなきゃいけない根拠はあるんですか。
A: そんな、根拠ったって・・・
B: わかってますよ。ホントはどうでもいいんでしょ。生徒の健康なんて。生徒の命なんて。生徒のことを本気で考えてるんだったら、水だけじゃなくて、塩分のことだって、マグネシウムだって、そもそも、外出制限のことに触れてないことが、何よりの証拠だ。あんたはただヨネクニに頼まれて、自動販売機の売り上げを上げりゃーいいって・・・
A: もういいです!! 提案撤回します!
B: ナニ、テッカイ?! ズボシだったんでしょ!! 重要な提案じゃ無かったんですか。今更撤回なんて無責任な!
A: イイカゲンニーー、シロッ!!
A+B: アリガトーゴザイマシターー!
日本の議論(2) 「地球が何回まわったとき?!」
今は三十を過ぎた息子が小学生だったころ、何回か少年たちの「論争」を聞いたことがある。
彼らの「論争」での常套句が面白かった。
それはあらゆる「論争」において最強の「反論」を構成する万能の呪文であった。
「地球が何回まわったとき?!」
例えば、こんなふうに。
A 「トラのほうがライオンより強いんだぜ」
B 「ライオンのほうが強いに決まってるよ」
以上が何回か繰り返されて、
A 「この前テレビで言ってたよ」
B 「へー、何年何月何日何曜日、何時何分何秒、地球が何回まわったとき?!」
トラのほうでもライオンのほうでも、これを先に言ったほうが勝ち誇った顔をし、言われたほうは「反論」できずに悔しがるのだった。
実に子供らしい「論争」で、聞くたびに「またやっているよ」と笑ってしまうのだが、考えてみると我々おとなの世界でも、本質的に同様の議論が盛んなことに気付き、笑えない思いにとらわれる。
「そんなことは、聞いていなかった」
「十分に議論をすべき問題だ」
「早急に決めるべき事柄ではない」
「反対者も多数いるのだから」
「根回しが十分ではない」
「以前に言っていたことと違う」
「説明が不十分だ」
「全員の腹に落ちるまでに至っていない」
「この場に持ち出すべき議論ではない」
「順番が逆だ」
「何様と思っているのだ」
「言い方が悪い」
「それは本音とは思えない」
「あの時はそんなつもりで賛成したのではない」
「言っているヤツが気に食わない」
「国民感情を考慮すべきだ」
まだまだありそうだ。
もちろん、場合によりこれらを言ってもかまわないし、言うべきときもある。
しかし、これらは単独では反論になっていないことを認識すべきだ。
なんら、実質的な、本質的な議論を含んでいない。
反論とは、なぜ相手の言うことが正しくないのか、自分はどうしたいのか、すべきと考えるのか、それはなぜなのか、を明確に含んでいなければならない。
私は、米系、英系、オランダ系の会社での勤務が合計で二十数年に及んだが、そのどこでも、上のような文句を「反論」の根拠とするような議論はまれに見られても、その場合それらの「意見」が重視されることはなく、たいていの場合、無視されるか軽蔑さえされた。
何の本質的な主張を含まず、ただ、議論を停滞させるだけで、その進展に何の貢献もしないからだ。
かたや日本では、会社でも地域でも、果ては国会でも、こんな「議論」が論争の主要な部分を占める場合が、少なくないように見える。
わたしは「西洋カブレ」でも「反日家」でもなく、日本文化文明に強い誇りを持っているが、このことに関しては、私たち日本人に反省の必要があるとかねがね感じている。
彼らの「論争」での常套句が面白かった。
それはあらゆる「論争」において最強の「反論」を構成する万能の呪文であった。
「地球が何回まわったとき?!」
例えば、こんなふうに。
A 「トラのほうがライオンより強いんだぜ」
B 「ライオンのほうが強いに決まってるよ」
以上が何回か繰り返されて、
A 「この前テレビで言ってたよ」
B 「へー、何年何月何日何曜日、何時何分何秒、地球が何回まわったとき?!」
トラのほうでもライオンのほうでも、これを先に言ったほうが勝ち誇った顔をし、言われたほうは「反論」できずに悔しがるのだった。
実に子供らしい「論争」で、聞くたびに「またやっているよ」と笑ってしまうのだが、考えてみると我々おとなの世界でも、本質的に同様の議論が盛んなことに気付き、笑えない思いにとらわれる。
「そんなことは、聞いていなかった」
「十分に議論をすべき問題だ」
「早急に決めるべき事柄ではない」
「反対者も多数いるのだから」
「根回しが十分ではない」
「以前に言っていたことと違う」
「説明が不十分だ」
「全員の腹に落ちるまでに至っていない」
「この場に持ち出すべき議論ではない」
「順番が逆だ」
「何様と思っているのだ」
「言い方が悪い」
「それは本音とは思えない」
「あの時はそんなつもりで賛成したのではない」
「言っているヤツが気に食わない」
「国民感情を考慮すべきだ」
まだまだありそうだ。
もちろん、場合によりこれらを言ってもかまわないし、言うべきときもある。
しかし、これらは単独では反論になっていないことを認識すべきだ。
なんら、実質的な、本質的な議論を含んでいない。
反論とは、なぜ相手の言うことが正しくないのか、自分はどうしたいのか、すべきと考えるのか、それはなぜなのか、を明確に含んでいなければならない。
私は、米系、英系、オランダ系の会社での勤務が合計で二十数年に及んだが、そのどこでも、上のような文句を「反論」の根拠とするような議論はまれに見られても、その場合それらの「意見」が重視されることはなく、たいていの場合、無視されるか軽蔑さえされた。
何の本質的な主張を含まず、ただ、議論を停滞させるだけで、その進展に何の貢献もしないからだ。
かたや日本では、会社でも地域でも、果ては国会でも、こんな「議論」が論争の主要な部分を占める場合が、少なくないように見える。
わたしは「西洋カブレ」でも「反日家」でもなく、日本文化文明に強い誇りを持っているが、このことに関しては、私たち日本人に反省の必要があるとかねがね感じている。
2015年7月29日水曜日
日本の議論(1) 日経とFT 発行部数で考える日本の民主主義
日経がFTを買収する。
面白いニュースだ。
親となった日経が経営上よくFTを御することが出来るかどうかも見ものだが、その話ではない。
日経の発行部数は280万、デジタル有料読者が43万だそうだ。かたやFTの合計読者数は70万、うち50万がデジタル版の有料読者。
しかも日経の読者はほとんど日本人に限られるが、FTの読者は世界中に広がる。それでも、この圧倒的な差は一体何を意味するのか。
FTの記者がこの買収について意見を求められて、「日経のことを何も知らないのでこれから調べる」と答えていたのが印象的だ。
FTは世界のメディア中最も信頼されるメディアだ。世界のリーダーでFTの記事を読まない者はいないと言っていいだろう。
日本に関する記事、とくに近現代史がらみで、違和感があるものはあるが、全般的に国際的な取材力、分析力はいわゆるクオリティーペーパーの中でも抜きん出ていると思う。
ニューヨークタイムズ、ワシントンポストより優れていると思う。
例えば、ソ連の崩壊をいち早く予測した特集記事を読んだときのことは忘れられない。素晴らしい分析だった。
さて、つまり、発行部数と記事のクオリティーの間に、正の相関はないということだ。それどころか、ある意味、負の相関が疑われる。
日経、FTなど、個別メディアの問題ではなく、一般論として重大なテーマがここに含まれている。
民主主義の本質にかかわる問題だ。
骨董、芸術に限らず、政治、経済の洞察においても、目利きは常に少数派だ。
率直に言えば、大多数は本質を掴めないのだ。これが民主主義のパラドックスであり、ジレンマでさえある。
民主主義において、大衆の意見がものをいうことは勿論だ。
しかし、世論が目利きによってリードされなくては良い民主主義が実践され得ないという認識が国民の間に厳格に共有されていなければ、衆愚政治の罠から逃れることが出来ない。
よしんば国民大多数によって共有されないまでも、少なくとも政治家やメディアによって信じられていなければ、国民は、縫いぐるみの民主主義に愚弄され続けるほかない。
民主主義のもっとも進んでいるとされる欧米先進国において、クオリティーペーパーの発行部数は、日本と比較すると驚くほど小さい。
前述のごとく、FTで言えばほんの70万。それも世界全体での話だ。日経は280万プラスデジタル43万。日本だけで。
ニューヨークタイムズでもタイムズでもルモンドでもフィガロでもFTと状況は同じだ。
アメリカでもイギリスでもフランスでも、大衆は大衆向けのメディアしか読まないのだ。しかし、世論をリードするのは、もしくは誘導するのは圧倒的少数のエリートたちの知見だ。
日本の世論形成は、いわゆる先進国の中では特殊なのだ。
日本での世論は、主婦の井戸端会議や、サラリーマンの居酒屋談義や、それらに限りなく似せたニュース番組によって作られる。
だから、政治家が国会の中で反対勢力の悪口を書いたプラカードなどをテレビカメラに見せびらかしてわめいたりするのだ。
大衆が政治家に向かって訴えているのではない。政治家が大衆に同意を求めているのだ。感情的な同意を。
今回の安保法制論議を見ても、野党は細かい専門概念や限定条件や留保条件を削って、「ほらやっぱり外国を攻撃できるようにする法案じゃないですか。」などと目をむいて見せ、答える与党も、複雑な国際法上の議論などはテレビの視聴者には理解されないと思うから、そこは敢えてはぐらかして、野党の誘導する悪い印象を払拭しようと「わかり易い」たとえ話などで四苦八苦したりするのだろう。
どこの国でも大衆が複雑な事象を理解できないという状況は変わらない。その点日本が特殊なのではない。
日本が特殊なのは、専門家、学者、見識あるジャーナリスト、政治家の意見を大衆が尊重するのではなく、大衆こそが正しく判断する目を持っているという幻想が、あるいはまやかしが、この国の「民主主義」の公式の前提として崇め奉られていることだ。
そこでは、「よくわかるように説明しろ」という台詞が「反対意見」として万能の切り札になる。
この間違った前提を正さない限り、日本の民主主義の進化はあり得ない。
日本の有力紙、有力メディアが、つねに大衆読者を対象としているとすれば、そこでの論調、解説の品質は限定されざるを得ない。
日経のFT買収は、おそらくFTの記事に何の変化ももたらさないだろう。FTの記者や編集者が日経の影響を受けるはずがないし、日経も記事、編集の独立性を保障すると言っている。
逆に、日経の記事の内容や性格が変わることもないだろう。読者が変わらないのだから。
今回の買収が、日本の民主主義の進化に何らかの貢献をするだろう理由は、残念だが見当たらない。
面白いニュースだ。
親となった日経が経営上よくFTを御することが出来るかどうかも見ものだが、その話ではない。
日経の発行部数は280万、デジタル有料読者が43万だそうだ。かたやFTの合計読者数は70万、うち50万がデジタル版の有料読者。
しかも日経の読者はほとんど日本人に限られるが、FTの読者は世界中に広がる。それでも、この圧倒的な差は一体何を意味するのか。
FTの記者がこの買収について意見を求められて、「日経のことを何も知らないのでこれから調べる」と答えていたのが印象的だ。
FTは世界のメディア中最も信頼されるメディアだ。世界のリーダーでFTの記事を読まない者はいないと言っていいだろう。
日本に関する記事、とくに近現代史がらみで、違和感があるものはあるが、全般的に国際的な取材力、分析力はいわゆるクオリティーペーパーの中でも抜きん出ていると思う。
ニューヨークタイムズ、ワシントンポストより優れていると思う。
例えば、ソ連の崩壊をいち早く予測した特集記事を読んだときのことは忘れられない。素晴らしい分析だった。
さて、つまり、発行部数と記事のクオリティーの間に、正の相関はないということだ。それどころか、ある意味、負の相関が疑われる。
日経、FTなど、個別メディアの問題ではなく、一般論として重大なテーマがここに含まれている。
民主主義の本質にかかわる問題だ。
骨董、芸術に限らず、政治、経済の洞察においても、目利きは常に少数派だ。
率直に言えば、大多数は本質を掴めないのだ。これが民主主義のパラドックスであり、ジレンマでさえある。
民主主義において、大衆の意見がものをいうことは勿論だ。
しかし、世論が目利きによってリードされなくては良い民主主義が実践され得ないという認識が国民の間に厳格に共有されていなければ、衆愚政治の罠から逃れることが出来ない。
よしんば国民大多数によって共有されないまでも、少なくとも政治家やメディアによって信じられていなければ、国民は、縫いぐるみの民主主義に愚弄され続けるほかない。
民主主義のもっとも進んでいるとされる欧米先進国において、クオリティーペーパーの発行部数は、日本と比較すると驚くほど小さい。
前述のごとく、FTで言えばほんの70万。それも世界全体での話だ。日経は280万プラスデジタル43万。日本だけで。
ニューヨークタイムズでもタイムズでもルモンドでもフィガロでもFTと状況は同じだ。
アメリカでもイギリスでもフランスでも、大衆は大衆向けのメディアしか読まないのだ。しかし、世論をリードするのは、もしくは誘導するのは圧倒的少数のエリートたちの知見だ。
日本の世論形成は、いわゆる先進国の中では特殊なのだ。
日本での世論は、主婦の井戸端会議や、サラリーマンの居酒屋談義や、それらに限りなく似せたニュース番組によって作られる。
だから、政治家が国会の中で反対勢力の悪口を書いたプラカードなどをテレビカメラに見せびらかしてわめいたりするのだ。
大衆が政治家に向かって訴えているのではない。政治家が大衆に同意を求めているのだ。感情的な同意を。
今回の安保法制論議を見ても、野党は細かい専門概念や限定条件や留保条件を削って、「ほらやっぱり外国を攻撃できるようにする法案じゃないですか。」などと目をむいて見せ、答える与党も、複雑な国際法上の議論などはテレビの視聴者には理解されないと思うから、そこは敢えてはぐらかして、野党の誘導する悪い印象を払拭しようと「わかり易い」たとえ話などで四苦八苦したりするのだろう。
どこの国でも大衆が複雑な事象を理解できないという状況は変わらない。その点日本が特殊なのではない。
日本が特殊なのは、専門家、学者、見識あるジャーナリスト、政治家の意見を大衆が尊重するのではなく、大衆こそが正しく判断する目を持っているという幻想が、あるいはまやかしが、この国の「民主主義」の公式の前提として崇め奉られていることだ。
そこでは、「よくわかるように説明しろ」という台詞が「反対意見」として万能の切り札になる。
この間違った前提を正さない限り、日本の民主主義の進化はあり得ない。
日本の有力紙、有力メディアが、つねに大衆読者を対象としているとすれば、そこでの論調、解説の品質は限定されざるを得ない。
日経のFT買収は、おそらくFTの記事に何の変化ももたらさないだろう。FTの記者や編集者が日経の影響を受けるはずがないし、日経も記事、編集の独立性を保障すると言っている。
逆に、日経の記事の内容や性格が変わることもないだろう。読者が変わらないのだから。
今回の買収が、日本の民主主義の進化に何らかの貢献をするだろう理由は、残念だが見当たらない。
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