2015年8月2日日曜日

日本の議論(3) コント「熱中症対策」

(注意: このコントはフィクションです。某国の国会論戦とはなんの関係もありません。延々続きます。ウンザリしたところで読むのやめてください。最後まで読んでも、何の役にも立ちません。)

ヒノモト中学の職員会議で・・・

生活安全対策担当の教員A: お手元のプリントをご覧下さい。今年生徒に配布する「夏休みの注意事項」に「熱中症予防のため外出時には十分な飲料水を携行すること」という一項を付け加えることを提案いたします。

教員B: どうして飲料水の携行が必要なんですか。

A: いやー、どうしてって、最近熱中症患者発生のニュースが頻繁に報道されていますし・・・

B: そんなことはわかっているんですが、なぜ飲料水が必要なんですかと質問しているんですよ。ちゃんと質問を聞いてくださいよ。

A: えっ、脱水症を予防するために水分を取らなければいけないというのは、医学的にも・・・

B: ちょっと待ってください。脱水症?あなたが提案しているのは熱中症の予防のことではないんですか。

A: いやいや・・・脱水症が熱中症を引き起こすというか、脱水症だから熱中症になるというか・・・確かそうですよね。でしょ??

B: そうですよねって、あなたが提案しているのでしょう。そんなこともわかっていないのに提案しているんですか。

A: ・・・

B: じゃ、お聞きしますが、脱水症にならなくても熱中症になるケースというのは医学的にありえないと、こう、あなたは主張するんですか。

A: はぁ・・・そういうこともあるかもしれませんが・・・

B: そもそも、水だけでいいんですか? 塩分についてなんで書かないんですか。

A: そりゃ、塩分も・・・

B: マグネシウムは?

A: ・・・

B: 答えてくださいよ。熱中症をあなたはなめてるんじゃないんですか。熱中症で死ぬ人もあるんですよ。え!

A: わかってますよ。だから今回注意事項に加えるべきだと・・・

B: じゃー、一体、どれだけの飲料水を持ち歩けば、熱中症にならないんですか。100ミリリットル?500ミリリットル?それとも1000CC?!

A: それはそのときの気温にもよると思いますし、本人の体調や、体格にも・・・

B: いいでしょう。じゃーですよ。例えば体重60キロ、身長170センチの男子の場合はどうですか。

A: そんなー・・・ 気温にもよるでしょうし。

B: 気温にもよる? じゃー湿度は関係ないとでも言うのですか。驚いたなこりゃー! たいした医学的根拠だ!

A: ・・・

B: そんないい加減な知識で、この重大な問題の対策を提案しているわけですか。あきれてものが言えませんね。じゃーね、あなたは、「飲料水」と書いていますが、これは水道水のことを言っているのですか。

A: いや、別に水道水でなくても、井戸水でもいいし、ポカリスエットでもなんでも・・・

B: バカなこと言わないでくださいよ。井戸水って、それは、飲料適格検査をちゃんと通しているんですか。

A: じゃ、井戸水は除外するということに・・・

B: 井戸水撤回するんですか。たった一分前の発言をもう、撤回するんですか。なんていい加減な回答なんですか。言ったことをそうやってころころ変えないでくださいよ。

A: ・・・

B: いいでしょう。私はもともと井戸水の話なんか、話そうとしたんじゃないんです。あなたがそんな無謀な議論を始めるからでしょ。それよりA先生、いま、ぽろっと本音が出ちゃいましたよね。ね!

A: 何のことです??

B: 井戸水のあとですよ、えっ!

A: 井戸水のあとって???

B: ポカリスエットってはっきり言ったでしょ、えっ?! A先生、とぼけるつもりですか。そうは行きませんよ。ほかの先生も聞きましたよね。

A: あぁ、ポカリスエットって言いましたけど。それが何か? 別にアクエリアスでもいいですけど。

B: アクエリアスでもいい? おとぼけがうまいですねー。そりゃー、ポカリでもアクエでもいいでしょうよ。

A: ・・・ どういうことですか???

B: じゃー、言ってもいいんですね。あなた先週の金曜の夜、どこにいました?

A: 先週の金曜??? 何ですかいきなり。

B: とぼけないでくださいよ。いいでしょう、時間の無駄ですから私のほうから言いましょう。私偶然見たんですよ、A先生が、あの晩、帰宅途中、ヨネクニ商店の奥さんとヒソヒソ話し込んでるのを。

A: ヒソヒソ・・・話し込んでる・・・??? ああ、あの日は珍しく早めに学校を出られて、ヨネクニ商店まだやっていたんで、カップラーメンを買ったんですよ。そしたら奥さんが、うちの子がいつもお世話になってますって言うんで・・・

B: あそこの子は、二年のときからA先生のクラスでしたよね。

A: そうですよ。だからお母さんとは何回も話したことがありますし・・・

B: 何回も・・・話したことが? それだけですか。

A: なっ、なんです。それだけかって?

B: うーん・・・顔色が変わりましたね。確かに変わりましたよ。

A: イッタイ、ナニイッテンデスカ!!

B: いやいや、何も言ってませんよ。どうせ、はっきりした証拠はない訳だし。ただのうわさだって言われりゃー、それまでだし。

A:  つまらない言いがかりはやめてください!!

B: ま、そう興奮しないで。でもね、あそこのご主人、二年前に癌でなくなってますよねぇ。

A:  だから何だって言うんですかあー!!!

B: A先生、ヨネクニ商店の前には自動販売機が3台置いてありますよね。ポカリ、アクエも、そのほかにもたくさん飲料水を売ってますよね。

A: イッタイ、なんの話なんですか?!

B: じゃー、はっきり言いましょう。今度の件は、ヨネクニの奥さんに頼まれたんじゃないですか?

A: バカもいい加減にしてください。第一、飲料水なら、ヨネクニじゃなくたって、そこらじゅうのコンビニとか・・・自動販売機だって町中にたくさん・・・

B: そりゃ、ほかでも買うことは可能ですよ。でも、うちの生徒のほとんどにとって、一番便利に利用できるのがヨネクニの自動販売機じゃないんですかね。

A: そんなこと知りませんよ。

B: いったい、うちの生徒が清涼飲料水を買う場合、何パーセントがヨネクニの自動販売機を利用しているのですか。

A: そんなこと・・・

B: この提案について、事前に父兄の意見を聴取しているんですか?

A: ・・・

B: まさか一人も意見聞いていないんですか?

A: そんな必要・・・

B: えーーーー! こんな重要な件で、父兄の意見なんか聞く必要ないなんて言うんですかー? 生徒の健康に対する重大な脅威について、父兄の意見なんてって。いま、あなた、そう言いましたよね。

A: 言ってないって。そんな必要もあったかもって言おうとしたんですよ。

B: そもそも、なんでいきなり「外出時に・・・」なんですか。外出しないことのほうが効果的でしょ。必要の無い限り外出しないようにとなぜまず書かないんですか。これじゃ、外出するのが前提というか、むしろ暑いさなかに外出を促しているも同然じゃないですか。あなたは、生徒をわざわざ生命の危険のある炎天下に誘い出すつもりなんですか?

A: そんなわけないじゃないですか!

B: 校長先生、こんな重大な問題で、しかも、こんなに問題だらけの議題をですよ、今日一日で決めるなんてとんでもないと思うんですが。

A: だって来週から夏休み始まっちゃうし・・・

B: 去年の夏休みの注意事項には、この項目はなかったじゃないですか。なんで、今年になっていきなり、しかもこんな、夏休みの直前になって提案するんですか?

A: 春のうちからこんなこと話し合うわけにいかない・・・・

B: 今年の夏休みに間に合わせる必要はないでしょう。生徒の命にかかわる問題ですよ。軽々に結論を出さず、来年の夏までじっくり話し合ったらいいじゃないですか。去年はなかったんだし、来年まで待てないで今年じゃなきゃいけない根拠はあるんですか。

A: そんな、根拠ったって・・・

B: わかってますよ。ホントはどうでもいいんでしょ。生徒の健康なんて。生徒の命なんて。生徒のことを本気で考えてるんだったら、水だけじゃなくて、塩分のことだって、マグネシウムだって、そもそも、外出制限のことに触れてないことが、何よりの証拠だ。あんたはただヨネクニに頼まれて、自動販売機の売り上げを上げりゃーいいって・・・

A: もういいです!! 提案撤回します!

B: ナニ、テッカイ?! ズボシだったんでしょ!! 重要な提案じゃ無かったんですか。今更撤回なんて無責任な!

A: イイカゲンニーー、シロッ!!

A+B: アリガトーゴザイマシターー!


日本の議論(2) 「地球が何回まわったとき?!」

今は三十を過ぎた息子が小学生だったころ、何回か少年たちの「論争」を聞いたことがある。

彼らの「論争」での常套句が面白かった。

それはあらゆる「論争」において最強の「反論」を構成する万能の呪文であった。

「地球が何回まわったとき?!」

例えば、こんなふうに。

A 「トラのほうがライオンより強いんだぜ」
B 「ライオンのほうが強いに決まってるよ」

以上が何回か繰り返されて、

A 「この前テレビで言ってたよ」
B 「へー、何年何月何日何曜日、何時何分何秒、地球が何回まわったとき?!」

トラのほうでもライオンのほうでも、これを先に言ったほうが勝ち誇った顔をし、言われたほうは「反論」できずに悔しがるのだった。

実に子供らしい「論争」で、聞くたびに「またやっているよ」と笑ってしまうのだが、考えてみると我々おとなの世界でも、本質的に同様の議論が盛んなことに気付き、笑えない思いにとらわれる。

「そんなことは、聞いていなかった」
「十分に議論をすべき問題だ」
「早急に決めるべき事柄ではない」
「反対者も多数いるのだから」
「根回しが十分ではない」
「以前に言っていたことと違う」
「説明が不十分だ」
「全員の腹に落ちるまでに至っていない」
「この場に持ち出すべき議論ではない」
「順番が逆だ」
「何様と思っているのだ」
「言い方が悪い」
「それは本音とは思えない」
「あの時はそんなつもりで賛成したのではない」
「言っているヤツが気に食わない」
「国民感情を考慮すべきだ」

まだまだありそうだ。

もちろん、場合によりこれらを言ってもかまわないし、言うべきときもある。

しかし、これらは単独では反論になっていないことを認識すべきだ。

なんら、実質的な、本質的な議論を含んでいない。

反論とは、なぜ相手の言うことが正しくないのか、自分はどうしたいのか、すべきと考えるのか、それはなぜなのか、を明確に含んでいなければならない。

私は、米系、英系、オランダ系の会社での勤務が合計で二十数年に及んだが、そのどこでも、上のような文句を「反論」の根拠とするような議論はまれに見られても、その場合それらの「意見」が重視されることはなく、たいていの場合、無視されるか軽蔑さえされた。

何の本質的な主張を含まず、ただ、議論を停滞させるだけで、その進展に何の貢献もしないからだ。

かたや日本では、会社でも地域でも、果ては国会でも、こんな「議論」が論争の主要な部分を占める場合が、少なくないように見える。

わたしは「西洋カブレ」でも「反日家」でもなく、日本文化文明に強い誇りを持っているが、このことに関しては、私たち日本人に反省の必要があるとかねがね感じている。