2008年6月28日土曜日

魯山人陶説

先日ブックオフで見つけた『魯山人陶説』(中公文庫)を読み始めた。

美術家の文章にはすぐれたものが多いが、これも例にもれず結構。

視点の的確さ、表現の直截、共に秀逸で、読んで痛快。無駄な言訳が無くしかも示唆に富む。信念に誠実で何者にも媚びずしかも、いや、だから謙虚である。

例えば次のくだりなどぴたり共感できたまらなく好きだ。

「故に良い陶器を作ることは、別段にわざわざ構えて意匠の工夫を施すにも及ばない。目新しいというようなことを狙うにも及ばない。 ―中略― そもそも形に於ける意匠、釉薬表現の色調、着け模様などによる賢しい働きは主として理智のみによって出来ているのが現代の芸術である。名は芸術であっても、実は、芸術でもなんでもない、美の表現を標準とした知恵比べである。 -中略― 鑑賞家もまた作者同様に知恵を以て理智鑑賞をなすがために、ともかく一時的に現代美術は支持されているようなものの、・・・」

そういえばやはり読書中の岡倉天心『茶の本』も、珠玉の言葉に満ちている。深い思索と明解な表現に何度も瞠目させられる。ここでついでに語るのは天心先生に失礼だから、稿を改める。