2017年9月3日日曜日

難病の国

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

北朝鮮による日本攻撃のシナリオがいよいよ現実味を帯びてきている。

この間中国は領海侵犯および領空侵犯まがいの示威行為を急増させている。

この期に及んでもなお日本の政治は、冒頭の「決意」を変更する目途さえ立てられないでいる。

それを阻んでいるのは、何が何でも阿部下ろしを狙う大メディアと政治勢力、その宣伝に翻弄される「世論」である。

私はもとより阿部総理のすべての言動、政策を支持するものではない。例えば原発政策関連。

安倍総理のすべての言動、政策、人格を否定して止まない人々に強く反対するものである。

こと安全保障政策の大筋において、安倍総理を支持せざるを得ない。

大メディアと一部政治勢力がなぜこれほどまでに阿部下ろしに躍起となるのか。言うまでもなく改憲に最も積極的な政治家だからだ。

数か月前の第九条第三項付加論には驚かされ、反対もしたが、その後の朝鮮情勢の急変、今日ただ今日本がさらされている北朝鮮の軍事的脅威に鑑みると、阿部の異様とも見えた妥協案提言の背後にあったであろう並々ならぬ焦燥感に、いまや同情を禁じ得ない。

いや、総理に同情している場合ではない。私たち日本国民が、その子や孫も含めて世界から同情されることになり兼ねない状況に立ち至っているのだ。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

憲法改正に断固反対する人々の論拠を突き詰めれば、日本を取り巻く諸外国の公正と信義は信用するが、日本政府の平和追及の意図は絶対に信用しないというものだ。

ひたすら平和を願いそれを表明すれば、どの国も日本をいじめることはない、平和を壊すとすればそれは軍隊(法制度も備えた)を持った日本だけだ、という恐るべきドグマ。

周りの国すべてが戦争をすることが出来る国であることを知りながら、日本だけは戦争ができる国にしてはいけない、という異常な信念。

占領時代のアメリカ政府のプロパガンダと、今に至るまで連綿と生き続ける左翼の反日プロパガンダが同調、相乗して日本人の深層心理に植え付けた病根だ、と言って間違いではなかろう。

その病根のなんと根強いことか。

「戦後レジーム」を壊すことのなんと難しいことか。

私はほんの半年ほど前まで、尖閣を取られて初めて日本は改憲を本気で考えることになるのかも知れないと心配していた。北朝鮮のミサイル・核開発がこんなにも速く進んでいると知らなかったからだ。

今では、改憲のきっかけは北朝鮮の攻撃になるのかも知れないと恐れている。

後者のシナリオの方が前者のそれよりも、直接的な被害ははるかに大きいと思われるが、どちらにしても遅すぎることに変わりはない。

あるいは、後者が起これば、改憲の実現を待たずして前者も起こるかも知れない。

それらが起こってなお一層改憲が困難となる可能性もある。つまり弱小国として列強へ隷従する道である。

これほどの窮地に日本を追い詰めた何者かを私たちは断固打ち破らなければならない。

厄介なことに、その敵の少なからざる部分が実は私たち自身の心の奥底に巣くっている。前述の病根である。

政策論としては、むしろ単純である。

短期的には日米同盟を最大限に活用しつつ北朝鮮との交渉に臨むほかない。

長期的には自立的防衛力を強化しなければならない。

より具体的には、一日も早い改憲と防衛費の倍増である。

その後は、自立化に向けた戦略的な日米同盟の修正と必要な防衛関連法整備である。

核武装オプションの検討が含まれることは当然である。

これらが成って初めて外交に実効性が伴うこととなろう。外交だけの外交など、誰が相手にするものか。

この単純な政策プロセスが一向に進まない根本原因が私たちの心の難病である。

ショック療法以外の処方が切実に望まれる。