2012年1月22日日曜日

ザ・ノンフィクション 老人と放射能

先週の続きを見た。何回も泣いた。何度か号泣しそうになった。なんという悲惨な運命か。なんという過酷な仕打ちか。

十数年も一人で自然の中で自給して生きてきた優しい老人が、なぜ放射能に追われてかけがえのない生活と住処を捨てなければならないのか。悲しみと憤りに震えた。

原発の恩恵を大いに受けて快適な生活をしてきた私ではなく、なぜ彼がそんな仕打ちを受けなければならないのか。こんな皮肉があっていいのか。彼が気の毒でならない。

まず、危険な原発を許してきた政府、財界関係者に怒りを感じるが、それを無知ゆえとは言え見過ごしてきた自分、その恩恵を受けてきた自分にも責任を感じた。

しかし、番組の後半、私の心をもっとも動かしたのは、悲しみと怒りではなかった。彼自身は、恨みや怒りの言葉を一切発しないのだ。その代わりに、微笑すら浮かべて、これからも人が喜んでくれるなら、幻灯をやりたいと口にする。これに感動してまた涙が溢れた。なんという人だろう。

彼は、宮沢賢治の雨ニモ負ケズを座右の銘だと言う。彼はあの詩を本当に実践しているのだ。

「欲ハナク 決シテイカラズ イツモシズカニワラッテイル ・・・ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ・・・ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ・・・」

本当になんという人だろう。

彼が、こんな目にあって、なお、前向きに生きられるのは、実際に人のために生きて、それが喜ばれることの幸せを知っているからだろうと思った。

せめてこの先一日でも長く愛犬と一緒に元気に暮らしていただきたいと祈るばかりだ。

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