2014年5月3日土曜日

夢か現か幻か


写真を撮るという作業は、現実生活に絵を見出すという芸術行為だ。

詩化して言わば、うつつに夢幻を見て取ってそれをうつつに固定するということ。

それを成功させる最大の要素は、撮り手の、私的内的景色を眼前の実世界に投影する能力か。

あるいは逆に、眼前の実像を心象に同化させる能力か。

否、外と内を一つと感受する境地かな。


2014年2月27日木曜日

雷蔵と淡路恵子じゃ見過ごせない!

昼食を終えてふとBS3を点けると丁度プレミアムシネマが始まったところだった。

濡髪三度笠。

雷蔵の三度笠シリーズは子どものころいくつか見たが、この一編を見たかどうかは記憶にない。

雷蔵は大好きだった。

アルマイトの洗面器を笠に、風呂敷を道中合羽に見立てて、よくまねをしちゃあ見栄を切ったものだ。

仁義の口上がなんとも格好よくって、真似をしていたら、父親に「やくざの真似などするな」としかられたこともあった。なぜそんなに怒るのか不思議だった。

さらに、冒頭早々にこれまた大好きな淡路佳子が登場。見ないわけに行かず最後まで堪能しました。ゴチソウサマ。

中村玉緒の村娘が可愛らしい。

ダイマル・ラケットの掛け合いも懐かしい。あのころの大阪漫才はほのぼのといい味出してた。

我輩も歳をとった。昭和は遠くなった。

参照:
http://www.raizofan.net/link4/movie4/sando.htm

2014年2月20日木曜日

勝つと思うな思えば負けよ・・・大脳の支配から抜け出せ

真央ちゃんのショートプログラムは失敗だった。まことに残念。真央ちゃんの気持ちを察するとこちらの胸も痛む。

真央ちゃんのスケート技術は最高だ。やはり問題は精神面だと僕も思う。

彼女は、勝負への執念が強すぎるように見える。その結果自分を追い詰めすぎる。最後の最後には天地に身を任すことが必要なのだが、それが出来ない。

すべて自分でコントロールしようとしている。そうしないといけないと思っている。スケート中に何が起こっても、すべて自分の技術で何とかしなければいけないと思っている。その結果、リラックスが出来ない。ひいては集中が出来ない。

頭で滑っている。表面意識で滑っている。無意識で滑ることが出来ていない。一瞬一瞬の知覚を大脳で情報処理して体にフィードバックして、最適な反応をしようとしている。それは、所詮無理な試みだ。

表情と体のこわばりがそれを顕している。硬い。僕が習っている心身統一合氣道の言葉を使えば、一点が上がっている。

この点、キムヨナは対照的だ。鈴木明子や荒川静香にも言えるが、彼女たちには、多かれ少なかれ、演技中に勝負へのこだわりを忘れた没頭、没我が見て取れる。

とりわけキムヨナにもっとも顕著に現れている。彼女は踊りに入り込んでいる。彼女はその時勝負をしているのではない。全身全霊で踊りを踊っている。

大脳の干渉から解放されている。

だから見るものに最高の感動を与えるし、失敗も少なくなるのだ。

是非、真央ちゃんにそのことを解ってほしい。会得して欲しい。

ここで僕がこんなことを書いても、本人に届くことはないだろうが、心から願っている。




2014年2月15日土曜日

雪のリゾートでまりやと一緒に麦酒を飲む

幸い家人は上京した娘と昨日からディズニーランドへ遊びに行っている。

生憎この雪でホテルに缶詰だろうが、それも母娘二人で楽しんでいることだろう。

一尺ほどの積雪、外出はない。勿論車の運転はあり得ない。

こんな日こそ、日中早くから酒を飲むに限る。今日は一日が長いぞ。

昼食には、先日のトマトシチューの残りを温めて茹でたブロッコリーを添えて、トーストと一緒に食べよう。となれば、麦酒だ。

いや、食品偽装のそしりを避けて正確を期せば、実は「金麦」、我が御用達の発泡酒だ。

テレビはやめてCDを聴こう。リラックスできる曲がいい。

ここは是非竹内まりやにご登場願おう。


先日500円で買った中古の"Impressios"。なめらかなメロディー、柔らかで潤いのあるまりやの声が、ほろ酔い老人の脳に浸みる。

トーストの最後の一欠けらに、取って置きのバターと自家製マーマレードを載せてほうばれば、これで立派な雪のリゾートの午後が完成だ。



2013年12月25日水曜日

クリスマスの夜は・・・


ビング・クロスビーのジングルベルは、ぼくが最初に覚えた英語の歌だ。

新物好きの叔父は、60年代の初めにすでに大きなステレオプレーヤーを持っていた。ぼくが遊びに行くと、たまに少しだけレコードを聞かせてくれた。ジャズをたくさん持っていて、聴き古した数枚を僕にくれた。小学3、4年のころだ。

その中の一枚が、ビング・クロスビーのドーナツ版White Christmasで、B面が Jingle Bellsだった。

何回も聴いて歌ったから、今でも伴奏やコーラスも含めてそっくりに歌うことができる。

さっき何十年かぶりに引っ張り出してきて聴いた。盤面のカビや埃でシャカシャカいう音を伴っていたけれど、懐かしいサウンドはやはり心を慰めてくれた。

今は、大好きなオスカーピーターソントリオのWE GET REQUESTSを聴きながらこれを書いている。これは確か高校のころ初めて買ったジャズのレコードだ。中学のころかもしれない。特に"The Days of Wine and Roses"が気に入っている。


次はシナトラにしようかな。それともデイブ・ブルーベック・カルテットのTake 5かな・・・

「クリスマスの夜は、やっぱりジャズでしょ」

ろくにレコードやCDを持っていないぼくは、独りそんなことをつぶやく。

2013年9月30日月曜日

余が物欲に関する負け惜しみの説

常より物欲に恬淡なりと公言しておる。余の言動を知る人は概ね其れを信じておる。

然るに其れ真にあらず。真実は全く逆にして、余こそ物欲の権化なり。

余が物欲は過大にして決して満たされることなし。余が物欲を達せんとせば、莫大なる金銭を費やさざるを得可からず。かかる巨富を得んには、余の器量幸運いずれも全く足らざること自明なり。

而して余の手に入りうる富を以って僅かに余が欲の数千分の一を実現せんとせば、其は数千分の一の満足を余にもたらすに非ず。反って数千倍の不満足を返す可し。

余が真に欲するは、貴重なる無垢材を用い、稀有な名匠の手になる書院の館である。手入れの行き届いた庭園、それも、山里の自然を模しながら高い精神性を湛える夢窓疎石の庭である。手織りの着物を着て、骨董の調度品食器に囲まれ、旬の天然食材の料理のみを口にして暮らしたい。

この希望に少しでも妥協を持ち込めば、その優雅な生活は忽ちにして下品な成金趣味に堕すること言を待たず。

故に、ある時より我に物欲なしと偽り、棺おけに入るまでその振りを続けることを決めたり。

例えば、外食するに安い定食の利用を常とす。或は、イトーヨーカドーの衣料を普段着に纏う。妻は揶揄して、余をスーパーモデルならぬスーパーのモデルと呼ぶ。

まことに以って負け惜しみの所業に他ならず。

今ここに記して、せめて余が本懐を親類縁者の知る所となさん。

2013年6月16日日曜日

X夫人の午後

X夫人の午後
        碧海

炎天路を焼く
夫人乗りて冷風に吹かれ楼に赴く
至りて及ち跨り漕ぐこと万遍 
一ミリも進まず 是汗を強いるを専らとす
後 熱浴するは残汗を搾るに有り
渇けば則ち貪る 麦酒の酒に非ざるを
帰路再び乗る
路樹残炎に苦しむも 夫人終に汗無し
還りて厨に立つ 
忽ち洩るるは其れ嘆息かおくびか